神は時間に左右されるか

 

神も時間に左右されるとする考えがある。

これは、間違いである。

神は時間を超越しているのである。

もし神も時間に左右されるならば、(仮に宇宙の広がりが100億光年以上であるとすれば――私は信じないが)100億光年かなたで今起こっていることを神は100億年たってからしか見れないということになるのである。その100億年の間、神は「全知」ではない、ということになる。

「神は、空間的に絶対であり、その100億光年かなたにおいて今起こっている出来事をすぐ間近に見ている。だから、そうは言えない」というだろうか。

もしそうだとしても、時間を超越していると言わねばならないのである。

なぜならば、ここで見ていることと、100億光年離れたところで起こっていることとを、神が総合して考えるときに、100億光年という距離は超越されており、また、一方のものを見てそこで知覚されることと、他方のものを見てそこで知覚されることとの間に(おそらく何億年という単位の)時間差が存在するはずなのに、それがあたかもないかのように同時に総合ということが行われるのだから。


 

 

2003年07月19日

 

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