頭を柔らかくしよう

 


なんだか、古代日本とユダヤ人のことを述べたら、電波だとか言われるようだが、こ
ういった情報に対して電波呼ばわりする人間は、今日の日本の貧困な歴史教育の可愛
そうな犠牲者である。

そもそも、紀元前に中国にユダヤ人の集団がいたという記録があるならば、紀元前後
に日中関係があったわけだから、日本にまでユダヤ人が足を伸ばしたと当然想像でき
る。

紀元1世紀のイエスの弟子達がインドや中国に来ているならば、どうして、その先に
ある日本に来なかったと言えるのか?むしろ、「日本に来なかった特別な理由は何か
?」ということが疑問に上げられて当然ではないか?

年代測定方法の進歩により、弥生時代が500年さかのぼったそうではないか。紀元前
1000年頃から朝鮮半島や中国大陸とのつながりがあったならば、そこからユダヤ人が
やってこなかったとどうして証明できるのか?

そもそも、縄文時代にすでに大陸から日本列島に人々がやってきたということは、縄
文時代にすでに、人々は広範囲な移動を行っていたということを証明しているではな
いか。

どうして、それ以降の時代になると、人々は、島国の中の自分たちの狭い領域だけで
生活したと考えなければならないのだ?

なぜ縄文の人たちのほうが航海技術や陸上移動技術が発達していて、弥生時代になる
と、それらを失ったと言えるのか?

製鉄や養蚕やら様々な輸入文明の恩恵を受けた人々がどうして、縄文時代の人々より
も活動範囲が狭くなったと言えるのか?

西方文明がはるばる日本まで来ていたならば、古代の人々は、互いに密接に連関して
いて、交易や情報の交流が、我々が想像する以上にあったと考えるほうがマトモじゃ
ないか?

文明人がまだ訪れたことがない孤島に、すばらしい技術を持ち、自分たちの産物と交
換にすばらしい文明の利器を持ってきた人々がいて、利益が生まれたならば、その文
明人も、島民も、交易の続行を望まないだろうか?

今の歴史学では、それ以来、交易はストップし、文明人は二度とその島を訪れず、ま
た、島民も二度と外部との交渉をしようと思わなかったということになるのだ。

ひとたび、日本に鉄器が伝えられたならば、その鉄器製造などから利益を受ける人々
が、日本を手放しはしなかっただろう。利権が生まれれば、それを奪われないため
に、様々な秘密が生まれただろう。ユダヤ人は、東南アジアの香辛料などの交易基地
や、乳香の生産基地に関する情報を絶対に外部に口外しなかったと言う。

世界を股にかけて活躍していたユダヤ人が日本という産金地を逃すはずはない。そし
て、その利権を守るために徹底した情報管理が行われたのである。だから、古代日本
に関する情報は、ジパング伝説のような神話や伝承の形でしか残せなかったのだろ
う。

日本の義務教育でマインドコントロールされた人々は、少しトケイヤー師の本でも読
んで頭を柔らかくしてもらったほうがよい。

 

 

2003年11月2 日

 

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