土地は神のものである

 


土地は他のものと違って、権利放棄することができなかった。

「地は買い戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地はわたしのものであるか
ら。あなたがたはわたしのもとに居留している異国人である。あなたがたの所有する
どの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。もし、あなたの
兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄
弟の売ったものを買い戻さなければならない。その者に買い戻しの権利のある親類が
いないときは、その者の暮らし向きが良くなり、それを買い戻す余裕ができたなら、
売ってからの年数を計算し、なお残る分を買い主に返し、自分の所有地に帰る。もし
その者に返す余裕ができないなら、その売ったものは、ヨベルの年まで、買い主の手
に渡る。ヨベルの年にその手を離れると、その者が、自分の所有地に帰る。」(レビ
25・23-28)

土地は、自分の財産と考えることはできなかった。
それゆえ、イスラエル人は、土地を手放すことが許されていなかった。
土地は、神のものであって、人間のものではない。
人間は、神のもとにある外国人と考えられ、たとえ土地を所有したとしても、それは
一時的に借りているものと見なされた。
だから、主人である神の心に反すれば、いつでも追い出される運命にある。

今日、インディアンやアイヌ民族など原住民の権利を守れ、と叫び、アメリカや北海
道の開拓民を侵略者として見る見方があるが、原住民が永久に土地の所有権があると
主張する根拠は聖書の中にはない。

聖書は、すべての民族は、「借主」であって、「所有主」ではない、と述べているか
らだ。

聖書によれば、この「借主」は、「貸主」の意に沿わないことをしつづける時に、そ
こから追い出される。神は様々な方法で悪い民族を追い出される。異民族の武力で追
い出す場合もあれば、天災で追い出す場合もある。病気で絶滅することもある。

これまで侵略にあった民族すべてを、「悪い民族」だったから追い出されたのだ、と
言うことは、もちろんできない。我欲にかられて侵略する民族があるからだ。

しかし、同時に、先住民が先住権をどこまでも既得権として主張する根拠もないので
ある。なぜならば、「もともとそこは彼らの土地ではなかったからだ。」

土地の所有の基本は、創世記1・28の「地を支配せよ」という命令にある。だから、
神の御心を無視するような民族は追い出されて当然なのである。

しかし、「それじゃあ、侵略を肯定することにならないか?」という疑問が起こって
くるだろうが、私は、どんなにその地の支配者が悪くても、自動的にその支配者を暴
力的に追い出す権利が他の人間に与えられているとは考えない。

現在、自国民を奴隷化している北朝鮮や、チベットで人権侵害を行っている中国に侵
略することが許されるか、というとそうではない。

だからといって、まったく他の主権者には手出しができない、というわけでもない。
国際社会は、何年か前のルワンダにおける大量虐殺のように、自民族や自国内の他民
族に対してジェノサイドを行っている国に武力介入しなければならない場合もあるだ
ろう。

アメリカがルワンダに介入しなかったのは、ソマリアやイラク介入と違って、利益が
発生しないからだと言われている。

国際社会が介入できるのは、このような利権がらみでではなく、あくまでも著しい悪
が行われている場合に、他国の主権を侵してでも、その国民の命を救う必要がある場
合だけだろう。

その場合であっても、祈りつつ、神のゴーサインを待つ謙遜さがないと、今のアメリ
カのように泥沼戦争に巻き込まれるだろう。

 

 

2003年11月13日

 

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