宗教的中立は幻想である

 


PCANEWS.com Newsletter for 09/01/2003によると、アラバマ州における十戒碑の撤去問題は、アメリカ全土で宗教と国家の関係に関して論争を巻き起こしている。
人々は、「アメリカはクリスチャンの国なのか?」と自らに真剣に問い直している。
コンスタンチヌス帝の時代から、クリスチャンは「文化とどのように関わるべきか」という問題と格闘してきた。
PCANEWS.comは、アメリカの改革主義者と福音派の人々の間には、「クリスチャンと文化」という問題について少なくとも4つの見解がある、と述べている。

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(1) クリスチャン・ネイション(Christian Nation)。
「アメリカは聖書の原理に基づいて建国された」と信じ、「メイフラワー憲章のような歴史的証拠文書がある。」と主張する。現在の歴史や憲法の解釈は、この歴史的見地から行われなければならない。

(2) ナショナル・クリスチャン(National Christian)。
神は、世界の全国民の主権者であり、すべての国家は、神の主権を認めるべきである。…カベナンターたちにもっとも信じられている教えであり、憲法に「イエス・キリストは合衆国の主である」という一文を載せよ、と訴えている。

(3) 再建主義(Theonomy or Reconstruction)。
あらゆる国家の社会秩序の基礎は神の法であり、為政者は神の法に基づいて統治すべきである、と言う。

(4) 原理的多元主義(Principled Pluralism)。
アメリカは、多様な文化・宗教的背景を持つ人々から成り立っており、キリスト教はその一つに過ぎない。クリスチャンの使命とは、公共の場において自分の主張を述べることによって、政治に影響を与えることである。
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再建主義は、(1)と(2)を含んでいるので、このような分け方が妥当だとは思わない。私から見れば、(1)と(2)は、未熟な形の再建主義である。それらを徹底させて、原理を純化すれば、再建主義に至らざるを得ないだろう。

ゲイリー・ノースによれば、アメリカは、もともとクリスチャンの国家になるはずだったが、フリー・メイソンなどの陰謀によって、「宗教的中立」の国になり、政治と宗教とが分離されてしまった。

政治と宗教とを分離することが不可能なのは今回の事件で明らかである。

法律とは、「何が善で、何が悪であるか」を決定するので、不可避的に宗教的であって、宗教的でない法律などは一つもない。何らかの価値観は、ことごとく、聖書の価値観と対立もしくは一致するので、すべて宗教的である。

たとえば、強盗殺人犯は、「私には、自分の金銭欲を満足させるために、他人の財産を奪い、邪魔者を殺害することができる」という価値観を持っている。国家は、この価値観を否定する。聖書も、これを否定する。この場合、国家の価値観と聖書の価値観とは一致している。

しかし、ある妊婦が「私には、私の体に属する一切のものを自由に処分する権利がある」という価値観を持っており、国家がその中絶行為を肯定した場合、聖書の主張「胎児は母親から独立した個人であり、堕胎は殺人である」と対立する。

どの価値観であっても、どの法律であっても、宗教から自由になれるものは存在しないのである。

公的な場所から十戒のモニュメントを除け、という命令は、「特定の宗教がアメリカを支配してはならない」というリベラル思想から来ているのだが、リベラリストは、「無宗教も宗教である」という事実を無視しているのである。

自分をあたかも中立であるかのように考えている人々は、深く考えることのできない人であるか、もしくは、中立を隠れ蓑にして自分の価値観をごり押ししようとする人であるか、どちらかである。

事実、リベラリストの攻撃によって、公立学校から十戒や「忠誠の誓い」が排除され、クリスチャンが講壇から創造を教えることが禁止されるようになり、その代わりに、瞑想教育、自殺教育、進化論、ニューエイジ、東洋神秘思想などが教えられてきたのである。彼らは、宗教的に中立と言いながら、子供達に自分の宗教を押し付けてきたのである。

今後もアメリカ人がリベラリストの主張に騙されて、「この国は宗教的に中立の立場を取っているから」という理屈を鵜呑みにすれば、いずれ、あらゆる場からキリスト教の影響は排除され、アメリカ全土が「宗教的に中立な教え」という名の宗教によって占領されるだろう。

我々は、このような一つ一つの戦いを避けてはならない。一つを許せば、なし崩し的にサタンは社会からクリスチャンの影響を奪い去り、社会は破滅に向かうことになるのだ。



 

 

2003年09月02日

 

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