歴史はクリスチャンのためにある


1983年、ブレジネフの時代に、レニングラードにいた。

元旦にネバ川の上に祝賀の花火が上がる様子を、昨日のことのように覚えている。

ロシア人の友人に「この体制はまもなく変わるだろう」というと、彼は「いや、10年経っても変わらないだろう」と答えた。

しかし、その年の2月にブレジネフが死に、アンドロポフとチェルネンコがたて続けになくなって、2年後、1985年にゴルバチョフが大統領になると、変化は急速に進んだ。

1991年にクーデターが失敗して、エリツィン体制が確立して完全にソ連は崩壊した。

ソ連は、常に暗い雲が空を覆っているような、憂鬱な気持ちにさせる国であった。

国土全体が悪霊によってすっぽりと包みこまれ、人々がすっかり集団憑依されていた。

ブレジネフとゴルバチョフの違いは大きかった。ブレジネフが生きていた時代に、ゴルバチョフのような指導者が現われるなど絶対に信じられなかった。彼のもとで、次々とロシア人を締め付けていた鎖が外されていった。

しかし、ゴルバチョフはやはり根っからの共産党員であり、共産主義政権から自由主義政権への橋渡しをする役目を与えられた人物でしかなかった。

1991年のヤナーエフによるクーデターは区切りをつけるという意味で非常に重要であった。

当時、伝道活動のためにソ連に滞在していた人々は、体制が逆戻りするのではないかと恐れ、非常に緊張したが、しかし、歴史を逆行させることは誰もできなかった。

ソ連の歴史を見ると、この国が人間の失敗劇を演じるために神に選ばれた国であったと感じる。

レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフ、ヤナーエフ、エリツィン、そして、彼らに導かれたロシア人は、人間が人間だけのために人間だけの手によって国を作るとどういうものになるか、ということを実演してくれたのである。

西側諸国のような、キリスト教が受容された半ヒューマニズム半キリスト教の国では表現できないことをソ連邦と他の社会主義国は示してくれた。

歴史はすべて舞台であり、人間や社会は役者である。観客は、天上のクリスチャンと地上のクリスチャンである。

歴史は、すべてクリスチャンのためである。

「すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。」(1コリント3・21-22)

クリスチャンは、これら歴史の正しい意味を知る唯一の人々であり、聖書に基づいて歴史上の出来事を解釈することができる。

クリスチャンは、歴史の流れを見て、その意味をわきまえ、そこから神の導きと、栄光の現われを読み取る。

ノンクリスチャンは、これらの歴史的事件を見ても、その意味を悟ることができない。

「しかし、この人たちは、自分には理解もできないことをそしり、わきまえのない動物のように、本能によって知るような事がらの中で滅びるのです。」(ユダ10)

ノンクリスチャンは、このような歴史のスペクタクルを見ても、映画館の中にいる犬や猫のように何も悟れない。

しかし、クリスチャンには神の知恵が与えられているから、これらを正しく解釈することができ、それによって神をほめたたえることができる。

歴史は神の栄光を目指して進んでいるのである。人間が神を除外して地上を支配しようとしても失敗に終わる。神の副官として働こうとする者が最終的に全地の統治権を握るだろう。

「地を従えよ」(創世記1・28)との命令は必ず聖書に忠実に従うクリスチャンによって成就されるだろう。

 

 

2004年8月9日

 

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