日本はパルティアから来たユダヤ人夫余族の国では?


ユダヤ人が大陸を渡って来た可能性について考える場合に、我々はイメージとしてらくだの隊商を思い浮かべてしまいがちだ。

しかし、実際は、騎馬民族として来たのではないだろうか。

今のイランにあったパルティア国は、騎馬民族であった。
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パルティアは、中国語で安息国と呼ばれ、明らかにユダヤ色が強い。実際、そこは、離散ユダヤ人の溜まり場であった。

紀元1世紀の状況を記した使徒の働きには、パルティアから来、エルサレムに住むユダヤ人がペンテコステの聖霊降臨を目撃したことが記されている。


さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。彼らは驚き怪しんで言った。「私たちは、パルテヤ人・・・である。」(使徒2・5、6、8、9)

パルティアは、BC2世紀なかば、シルクロードの西部に位置し、東西交易を独占して繁栄した。

つまり、彼らは騎馬民族として交易のために紀元前から東アジアに来ていた可能性がある。

さらに、BC1世紀、ローマの東方進出で長期戦となりダメージを受け、AD 3世紀はじめ地方に反乱が起きた。

この反乱において国を捨てた人々がさらに東に逃げた可能性がある。

大量のユダヤ人が、パルティアから騎馬民族の夫余族として紀元3世紀に日本に来たのではないか。

パルティアでは、当初ギリシャ語が公用語として使われ、ヘレニズムの影響が強かった。つまり、聖書で使用されたコイネーが使われていた可能性がある。

夫余族は、日本に入り、天皇家として日本を支配した。八咫鏡の裏に、ヘブル語だけではなく、ギリシャ語と思われる文字が記されていると言われているが、これで謎が解ける。

 

 

2009年1月3日

 

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