議論するよりも研究史を学ぼう


私は、ごくごく正統的な福音派の(中の改革主義の)神学校を卒業しました。

そして、ごくごく当たり前の説教をし、当たり前のことをしてきました。

再建主義という名前が何か「特殊な」教えを提示しているかのような印象を与えているようですが、歴史的なカルヴァン主義の教えから一歩たりとも逸脱しておりません。

だから、私の律法と福音に関する教えについて異議を申し立てるならば、自ら「私は正統的な教義から逸脱していますよ」と公言しているようなものです。

今の教会は、ディスペンセーショナリズムによって骨の髄まで汚染されていて、歴史的・正統的で、正しい教えを学んだことがなく、それゆえ、こちらが別段普通に信じてきた正統的な教えまでも否定する。

ここまでゆがんでいることに正直いってびっくりしています。

これは、巷の素人神学愛好家だけではなく、今日キリスト教界を指導している上部の人々ですらそうです。

これまでまともに話しができた上部指導者は、舟喜純一先生だけです。

この先生の博識は、十分にこのテーマについて話し合いを可能にしてくれました。

後は、もう議論の前の段階で、一つ一つ反論していたら頭が痛くなる。

議論するよりも、まず、研究史を学ぶことです。

 

 

2005年10月12日

 

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