神の計画


予定論に反対する人々は、私の次の質問に答えて欲しい。


神は誰かから影響を受けるのか?

影響を受ける神は神ではない。

神は、誰かがキリストを受け入れるか受け入れないかを迷っている時に、そわそわするのだろうか?

受け入れた時に、「そうか、受け入れたか。よかった!」と言うのか。

何か突然の出来事が起こったときに、「えっ!信じられない!」などとびっくりするのだろうか?

このような出来事によって方針を変えたり動揺したりするのだろうか?

聖書はそんなことは少しも述べていない。

神は誰にも相談することなく、あらゆることをあらかじめ決定された。

この世界において起こることは、すべて神の意思によって起こる。

だから、神は絶対的に能動的なのである。

たとえアダムが罪を犯したときであっても、驚かれなった。

神は歴史のすべてをあらかじめ決定されたのであるから、アダムの堕落も計画のうちに含まれている。(*)

偶然などというものはこの世界には存在しない。

サタンすらも神に利用されている。

サタンのやることは、すべて織り込み済みである。

ロスチャイルドが何を計画しようと、すべて神の計画のうちに含まれている。

では、神の計画とは何か?

全世界の御国化である。

これは2段階で成就する。

(1)法的成就

キリストは世界をすでに「御国」とした。
キリストは、世界の王となられた。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28・18)

世界はキリストの王国である。王国としてふさわしく、すでに世界は御国と化した。

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)

あらゆるものが神と「法的に」和解している。

「和解させてくださった」――和解とは完了した出来事だ。

あなたも私もすでに神の味方である。ロスチャイルドだって、ヒトラーだってそうだ。

たとえ敵であっても、キリストによる和解を受けている。

ある人は、「え〜っ、じゃあキリスト信仰は不要なのですか?」と言うかもしれない。

(2)実際的成就

薬があっても、眺めているだけでは何もならないのと同じように、和解は適用しない限り無効だ。

では、和解のための実際的な行動とは何か。

信仰である。

イエス・キリストが自分の救い主であり、主権者であることを信じることである。

信じない限り、和解を受けることはできない。

世界はすでに法的に和解しているが、実際的には和解していない。

人間が和解を適用しない限り、依然として神の敵である。

我々は万物を和解させなければならない。

すでに完了している十字架による和解を、具体的な出来事に適用しなければならない。

これが、「御国建設の活動」だ。

まず、伝道して人々を救いに導くこと。

そして、その人々が御言葉を職業や家庭や生活のあらゆる部分に適用していくこと。

そこに政治や経済も含まれる。

御言葉に従った政治や経済を行うように、人々を導くことが先輩のクリスチャンの責任だ。

このような御国建設の働きにより、世界は徐々に、その本来の姿「神との和解」を現していくだろう。

我々はあらゆる領域が「実際に」和解するまで働かねばならない。

(*)
それでは、神は悪の創始者だということになるのだろうか。

違う。

神は一切悪を行われない。

神は、悪を犯す人々を妨害しないということによって悪の実行をあらかじめ定められた。

例えば、ピンボールの台の中での玉の移動を見よう。

玉は、重力によって下に落ちる。

一番下にある2個のバーを上下させることによって、下に落ちる玉を跳ね返すことができる。

我々はあらゆる罪を犯す可能性がある者である。

しかし、神はその堕落を留めることによって、我々に最悪の罪を犯させたまわない。

だが、神があらかじめ悪人として予定された人々がいる。

神は彼らが堕落して罪を犯すことを妨害されない。

玉が重力によって下に落ちることについてプレーヤーに責任がないのと同じように、彼らが堕落して落ちていくことについて、神には責任がない。

 

 

2007年9月16日

 

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