不幸や痛みは自分にとって必要である


陰謀論をバカにする風潮は陰謀家たちが作ったものだ。

自らの陰謀を隠すためだ。

世界に陰謀がないという人は、ウイルスソフトを使うな。

家に鍵をかけないで寝なさい。

われわれは無数の陰謀に取り囲まれている。

陰謀の存在は、神が許されたものである。

なぜならば、人間は敵がいないと堕落するから。

創造の秩序の中に、ばい菌やウイルスが含まれているのは、人間が安逸をむさぼらないためである。

苦しみや不幸や事故が起きるのは、緊張させるためである。

自分を戒めるためである。

痛みがあることによって、かえって本物を見抜くことができるようになる。

あまりにも平和が続くと、人間はダメになる。

ある会社を乗っ取り、他の会社に不正融資した男がTVのインタビューでこう言っていた。


僕も悪いが、脇が甘いあの会社も悪い。

「騙された!」と叫び、詐欺師を糾弾している光景をTVでときどき見かけるが、騙されること、人の罪によって被害を受けることは、ある程度、自分のためによいことなのだ。

なぜならば、致命的な失敗をしないように用心するだろうから。

自分を間違った道に進ませないために、人から騙される体験を神がさせてくださったのかもしれない。

この地上が天国だったらどうだろうか。

自分に問題があり、救いが必要であることを感じず、それゆえ、キリストを求めず、永遠の地獄に落ちてしまうだろう。

生ごみの袋のような罪が処理されずに、自分の周りにつもりつもっていても、霊的な嗅覚がバカになっていたら、救われたいと思わないだろう。

鼻がつまっているなら、殴られて治るかもしれない。

はっと我に返り、「そうだ自分はどうしてこんな生ごみの中に埋もれているのか?」と気づく。

自分を反省できない人間は、ゴミ屋敷に住み、周りの人に迷惑をかけている住民のようだ。

どうしようもなくなっているときは、神が何かをなさるときだ。

 

 

2011年1月20日

 

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