司法律法を無効化する人間は裁きを免れない4


また、このような誤解も存在する。我々が「聖書のどのような一部であっても、無効化できる箇所は存在しない。」と説くと、じゃあ、「儀式律法」はどうなのか。今日でも我々は動物を殺す儀式をしなければならないのか、と言う人々がいる。

儀式律法は、廃棄されたのではなく、「成就」されたのだ。

イエス・キリストは、動物犠牲の本体であり、ただ一回限りの十字架刑において、動物犠牲の律法を成就された。

だから、我々はイエス・キリストを信じることにより、もはや動物犠牲をする必要はないのだ。

安息日の規定も、イエス・キリストにおいて成就した。だから、今日旧約時代と同じように安息日を設定してそれを守る必要はない。

イエス・キリストご自身が安息であり、イエス・キリストを信じることによって我々は安息の中に入った。


それゆえ、…聖日、…安息日について誰からも裁かれてはなりません。これらは、来るべきものの影であり、本体はキリストにあるからです。(コロサイ2・16、17)。

このように言うと、「では、司法律法もイエス・キリストが成就したのだから、守る必要はなくなったのではないか」と説く人々がいる。

彼らは、またもや「律法は廃棄されたのではなく、確立された」ということを理解していない。

儀式律法は、イエス・キリストにおいて、確立されたのである。安息日の律法も廃棄されたのではなく、確立されたのである。廃棄されたのではない。

我々は、イエス・キリストを信じるときに、犠牲を廃棄したのではなく、確立した犠牲を捧げるのである。

我々は、イエス・キリストを信じるときに、安息日を廃棄したのではなく、確立した安息日を守るのである。

旧約時代のように週の一日だけ守ればよいというのではなく、すべての日、人生の全体を安息日として守るのである。

旧約時代のように特定の食物を聖別すればよいというのではなく、すべての食物を聖別するのである。

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。(1コリント10・31)

旧約時代のように特定の民族が聖別されているのではなく、すべての民族が聖別されているのである。

律法はことごとくバージョンアップされた。だから、新しい律法は、古い律法よりもすぐれており、より高度になった。

だから、新約時代において司法律法が、旧約の司法律法よりも緩和されたり、無効化されるとしたら、それは、確立したことにならない。

旧約時代において司法律法は、イスラエルだけに適用されたが、新約時代において、すべての国に適用されねばならない。

司法律法に示された原理は、すべての国の法律に適用されねばならない。

旧約の司法律法において死刑に当たる罪の刑罰は、新約時代において、死刑以下になるはずがない。

司法律法の緩和や廃棄は、「律法を廃棄するために来たのではない」というイエス・キリストの言葉の否定である。

 

 

2007年8月24日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp