日本に関する仮説 7


飛鳥昭雄氏が八咫烏と接触して、驚くべき情報を入手された。これが『八咫烏の謎』『心御柱の謎』(学研)に詳しく載っているので参照していただきたい。

八咫烏とは、天皇制を守るために諜報活動をしている集団で、3-12-70というイエスの弟子と同じ構造を持つ組織である。八咫烏の本拠地は下鴨神社であり、ここでは、かつて70もの天皇の儀式が行われていた。

ユダヤ研究者として有名な小辻博士はこの宮司の家柄であり、自らを秦氏の末裔、さらに、ユダヤ人の子孫と考えておられた。

さて、飛鳥氏と会った最初の八咫烏は顔に覆いをしていたが、後で会った最高位の八咫烏、つまり大烏は、それを外していた。そして、この大烏は、「もう時期が来た」と言った。つまり、秘密が明かされる時代になったということだろう。顔の覆いを外したのは、そのことを象徴しているように思える。

私は、この顔覆いを見て、モーセの顔覆いを思い出した。パウロは、モーセが顔の覆いを外したことを、奥義が明らかにされたことを象徴していると聖書において語っているが、もしかすると、大烏はこのことを暗に示したのかもしれない。

飛鳥氏に対して八咫烏は謎掛けをしながら、次々と神道の奥義について明かしていく。

その中において、彼らは伊勢神宮の内宮と外宮の心御柱について驚くべき証言をした。内宮の心御柱は、十字架だというのだ。

もちろん、内宮に奉られているのは、天照大神である。私はこれで謎が解けたと思った。

というのも、私はこのことについて不思議な体験を何度かしているからだ。

一つは、今から10年ほど前に、深夜に何気なく「天皇家には御名が隠されています」と祈ったところ、突然、圧倒的な聖霊の臨在に打ちのめされたのだ。それ以上声が出ず、涙がとまらなくなった。

まったく自分の心とは無関係にこのような臨在が訪れたのは初めての体験だったので、本当にびっくりした。

そして、その時思った。「これは恐らく真理なのだろう」と。

私の父親も同じような体験をしたと語った。

イスラエルに旅行に行ったときに、ゲッセマネの園のあたりにある大きな石の前に立ち、もしかしたらイエスはここで最後の祈りをされたのかもしれない、と思った瞬間に聖霊の突然の臨在に打たれた。

神は、ある真理を示されるときに様々な方法をとられるが、私の個人的な見解では、このような体験を神は無意味にはお与えにならないだろうと思う。

もう一つは、今から数年前、友人と電話で話しているときに、天照大神はキリストではないだろうか、と心に浮かんだので、そのように話すと、突然目の前が明るくなり、温かいものが体に溢れてきた感覚が起こったことだ。

まさに光を体験した。

そして、聖書をよく読むと、ヨハネはキリストのことを「天地を照らすまことの光」と呼んでいるではないか。天照大神が岩戸に隠れて、再び現われたという神話は、イエス・キリストの復活記事に由来するのではないだろうか。

仮に、天照大神がキリストであるとすれば、飛鳥氏に語った大烏の証言がぴたりと符合一致する。つまり、

伊勢神宮の内宮の祭神=天照大神=キリスト=心柱が十字架。

そして、内宮にある八咫鏡の裏に「光はヤーウェ」とヘブル語で書かれてあるという事実とも符号する。

元伊勢の籠神社の神主海部氏は、友人のK氏に「伊勢神宮はこういったことをすべて承知しているんです。でも言わないでしょ。」と言われた。神道の内部に精通している専門家のこのような証言を我々は無視することができるだろうか。

海部氏は、はっきりと籠神社の神は男神であり、ユダヤの神ヤーウェであると語っておられる。ということは、籠神社は元伊勢なのだから、伊勢神宮もヤーウェを祭っていると考えても無理ではない。

一説によれば、仁徳天皇陵は、マナの壺を表しているという。よく見ると、ちゃんと両脇に取っ手がついている。我々が航空写真で見る図は、実はさかさまなのだ。

それから、名前は忘れたが、仁徳天皇陵と並んでよく教科書に載っている正方形の巨大な古墳は、幕屋の祭壇を表しているという。たしかに、よくみると、四つの角に「角」が飛び出している。ユダヤの祭壇を見たことがある方は分かるだろうが、祭壇には角が四隅についている。

1996年は実に不思議なことが起きた年だった。その中でも奇妙なのは、K氏の事務所にある預言の賜物のある女性がやってきたことだ。彼女は、私が昔一人で歩いているときにつぶやいた言葉を、そのつぶやいた場所の状況と合わせて言い当てた。

その年、彼女は、「おまえの誕生日に真名井神社(籠神社の奥宮)の前に立ちなさい」と神に言われたというので、K氏と奥さんと彼女の3人で出かけた。

彼女は、奥さんの前で次々と預言をした。彼女は預言の中で、「天照大神は私である」と、「私はここに足を置いた」という言葉を聞いた。その時、K氏は、境内の別の場所を歩き回り、彼女の預言を聞いていなかった。

東京に帰ってから分かったことだが、K氏も同時に同じ言葉「私はここに足を置いた」をその時、別の場所で聞いていたのだ。

私は、現代における預言は聖書啓示の下に置くべきであり、聖書が命じているように「吟味されるべき(原語では、疑うべき)もの」と思っているので、この言葉が絶対に神からのもので、絶対の真理として信じるべきものとは考えていない。

しかし、もしここに何らかの意味があるとすれば、非常に興味深いことである。同時に二人の人が同じ言葉を別の場所で聞いたのだからまったく意味はないとは言えないかもしれない。

もう一つ彼女が聞いた言葉で印象にあるのは、「私はおまえに産着を与える」という言葉である。これは一体何を意味するのか・・・。

まあ、とにかく、あの年は、いろいろと興味深い出来事が起こった年であった。

私も長崎で観光バスに乗った際に、「十字架を背負って私に従ってきなさい」という言葉が頭に浮かんだ。観光バスが一巡して、二十六聖人の碑を見ようと坂を上ってそのレリーフの前に立ったときに驚いた。同じ御言葉が真中に書いてあったのだ。これは、神様の召しだろうと思った。

そのレリーフがある広場に入ったとたんに、私は非常に神聖なものを感じた。後から分かったことだが、あの広場では、多くのキリシタンが逆さ吊りの拷問を受けて死んだという。レリーフの脇に塔が立っているが、その塔の壁面には当時のキリシタンたちの生活用具(御椀など)が埋め込まれている。

何年か前に噴火があって全国的に有名になった雲仙普賢岳は、キリシタンが殉教した場所である。地獄谷の中につき落とされて死んでいったと記録されている。あるキリシタンは、縄をつけられて山頂に引かれていったときに、天が開けている様子を見た。

彼の殉教の様子はバチカンにまで届き、絵が残っている。役人がひしゃくで熱湯をかけても、まったく別の世界に行っていて、苦しむ様子がまるでなかったという。

長崎は不思議な土地である。日本の町とは思えない雰囲気がある。これは、長年外国貿易の港町であったこともあるかもしれないが、私は殉教者の影響もあるような気がする。

一説によれば、日本はローマにつぐ殉教者を出した国らしい。日本の各地には多くの殉教地がある。私は、彼らの血が無駄に流れたとは思えない。必ず神は彼らの犠牲を生かしてくださるはずだ。

私は、あの1996年という年が、夜明けの年ではなかったかと考えている。あれから、私とK氏には、猛烈な攻撃が始まったのだが、それと同時に、本格的な伝道もはじまったとも考えている。

それは、今までにない画期的な働きである。二千年も隠されてきた、日本という国の秘密が今明かされようとしているのではないだろうか。

仮に、日本の祭神がイエス・キリストであるという私の仮説が正しいということになったらどうなるだろう。日本人の常識が完全に覆されるだろう。

しかし、その可能性は大きい。神が伊勢神宮と天皇家に働きかけてくださり、ちょうどよい時に、これまで隠されてきたことを公表してくれるのを望んでいる。

 

 

2004年7月20日

 

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