律法はいのちを与えないか?7


>アダム族とキリスト族の話はまったく同意です。

>これについては
>・JAVAと信仰
>http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing49.html

>>これは、現在のクリスチャンとまったく同じです。

>原理は同じで、犠牲が動物かキリストかの違いのみというわけですね。

そうです。
ただし、旧約聖書の犠牲制度は、キリストによる贖いを示す型でしたので、実体を待つ必要がありました。
それから、旧約律法において、キリストを示す、または、キリストの民を表す象徴・型に属する律法は、キリストという実体が登場したおりに、キリスト、または、キリストの民に置き換わりました。

>ここで質問なのですが、旧約のイスラエルはアダム族に属しているわ
>けですね?

キリストがまだ登場していませんので、肉的には(実際的には)アダム族に属しておりますが、神の目から見れば(法的には)キリスト族に属していると思います。

ですから、彼らの救いは暫定的であったと言うことができます。旧約の人々は死後黄泉に行き、キリストが復活されたときに、キリストとともにパラダイスに引き上げられましたが、新約の人々は黄泉に行かずに、直接パラダイスに行きます。

過越の祭りの際に、キリストを表す小羊を食するのは、小羊が表すキリストとの一体化を象徴しています。

>もうひとつは、神の原則は旧新約で同じとあるのは、私のいう「神と人
>の関係の原則は旧約であれ、新約であれ、信仰によります。」と理解
>してよいのでしょうか?

そうです。

 

 

2005年10月13日

 

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