自己開発本の本質は宗教である


<fms様>

巷の自己啓発本

富井先生

お答えいただき、ありがとうございます。
この「神秘思想」というのは、なかなかやっかいものです。
今日、中世の難解な神秘主義哲学の本を読む人は少ないと思いますが、逆に多くのサラリーマンが手にする(私もですが)自己啓発本の類には、そうとうな神秘思想が流れ込んでいると感じます。

もちろん、ビジネス書ですから、内容の大部分は実用的なもので、それ自体どうということはありません。

しかし、自己啓発本が仕事そのものから少し離れたところで「人生」を語るとき、必ずある種の平易な神秘主義が登場します。

日本のあらゆる宗教は、現在どこも退潮気味のようですが、その分、みんなこういった平易な神秘主義に吸収されているのだなぁ、と、書店で立ち読みしながら感じるきょうこのごろなのであります。

ありがとうございました。


fms

<tomi>

バブルの頃、自己啓発セミナーというのがはやって、1セット30万くらいの自己啓発グッズが売れたといいますが、その後、その自己啓発セミナーが姿を変えて、宗教になったものもあるそうです。たとえば、ライフスペースなど。

昔、ある商品を売るセミナーから友人が携帯で社長の訓話をそのまま流し、実況中継してくれたのですが、10分くらい聞いていて、「話がうまいなあ」と思いました。ぐいぐいと聴衆を引き込んで行きます。そのカリスマ性に驚きました。

内村鑑三は、その思想も優れていますが、彼があれだけ人をひきつけたのは、その独特な異彩を放つ容貌だったといいます。ある弟子は、「私は先生の外見に引き込まれた」という内容のことを語りました。

自己開発セミナーは、自分のことを宗教ではないと言いますが、しかし、一つの「世界観」を教えているので、実質的には宗教なのです。

私は、一般に宗教という言葉が間違って使われていると思います。

宗教という名前がついたものだけが宗教なのではなく、そのうちに世界観を含んでいるものはみな宗教なのです。

世界観は、存在論と認識論と倫理から成り立っていますが、この三つを備えているならば、それは立派な宗教であり、信仰です。

自己開発セミナーで教えられるのは、学校で教えられるヒューマニズムに基づいて築き上げられた世界観です。

セミナー担当者はけっして進化論について話をしないでしょうが、しかし、世界の起源を神におかず、偶然に置いているでしょう。つまり、「世界は偶然に誕生した」という存在論を持っているでしょう。また、人間が知りえる知識は、経験科学により、神の自己啓示によらないと信じているでしょう。そして、人間が守るべき倫理とは、「神が教えたもの」ではなく、「人間の良識」でしょう。

これは、日本人にしろアメリカ人にしろ、一般の人々がもっている世界観に合致しているので、「私たちのは宗教ではありません」ということができるのでしょう。

私がいつも自己開発セミナーの類に違和感を覚えるのは、「異なる霊」を感じるからです。

私は、世界観があるところ、必ず霊があると考えています。

アダムはサタンが提供した世界観を受け入れ、その体系の中に入りました。

それは、「神中心の価値体系ではなく、自分中心の価値体系」です。

自分の人生を自分のためにあると考え、自分に利益のあるものだけを受け取る価値体系です。

自己開発セミナーは、この価値体系をけっして否定せず、むしろ、それを促進するがゆえに一般に受け入れられ、もてはやされるのでしょう。

可能性思考などもそうです。世俗の可能性思考は、「神ぬきでも、できると信じればできる」というような教えで、中心がすっぽりと抜けている。

聖書の可能性思考は、「神のために行い、神に頼るなら何でもできる」というものですが、世俗のそれはこの「神」が抜けている。

だから、それは、エデンの園において悪魔がエバを誘惑した世界観と同一だと思うのです。

自己啓発の類は、「聖書と異質な人間中心の価値体系、世界観を提供する」という意味においてサタンの教えであり、クリスチャンは拒絶しなければならないと思います。

 

 

2004年6月6日

 

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