反ユダヤに傾く人々への罠


陰謀論に携わると、ユダヤが見えてくる。しかし、ユダヤは見えてくるが、ユダヤの全体が見えているわけではない。

ここがネックである。

ユダヤのある組織が陰謀をやっている。これは、ネオコンを見ても分かる。

だからといって、ユダヤ人が全員そういうことをやっているわけではないのだ。

シオニズムは、とんでもないことをやっている。これは事実。パレスチナだけではなく、ユダヤ人の世界を独占的に利するようなこともしている。

しかし、シオニズムはそれだけではない。神の約束という面がある。

シオニストだから間違っているということではない。シオニズム全体が間違っているならば、ローマ11章のパウロの回復預言はいったいどう解釈するのか?イエスのルカ14章はどうやって解釈するのか?

陰謀論のやりすぎはよくない。

アシュケナージとスファラディの区別を厳密に行う主張の背後には、血縁論がある。

また、シオニズム反対論者には、「ユダヤ人といっても、血縁がこれだけ崩れたら、もはやユダヤ人という定義は成り立たない」ということを根拠にする者がいる。

しかし、旧約聖書の時代から、「ユダヤ人」とは、信仰的定義なのだ。

イスラエルの男子は、生後8日目に割礼を受けなければならなかった。

割礼とは、「生まれながらの肉が汚れており、それを取り去る必要がある」ということを示している。

つまり、「原罪」を持ったままでは、神の民になれないということを示していた。

旧約聖書では、「割礼を受けていない者は、主の民から切り離された」。

割礼は、新約聖書において洗礼に置き換わった。我々は、洗礼を受けることにおいて、原罪を捨てて、まったく新しい人間に生まれ変わることを証言する。

つまり、聖書において、「ユダヤ人としての純血をもつものだから…」という主張はもともと成り立たないのだ。

割礼や洗礼を通じて、人間は一度死んで「古い血」を捨てて、「新しい血」を受ける。

そうしなければ、神の民には入れなかったのである。

アシュケナージとスファラディの区別をする人々は、聖書の原理をまったく理解していないので、むなしい議論をしているのである。

気をつけなければならないのは、反ユダヤ主義にならないようにすることである。

サタンはユダヤ人をつぶしたいと考えている。だから、反ユダヤに傾く人間に猛烈なアタックをかけてくる。

そのアタックに負けたのが、ヒトラーである。

反ユダヤに傾くと知らず知らずのうちに、「ユダヤ人を皆殺しにしろ!」と叫びたくなってくるのだ。

サタンは反ユダヤに傾いているあなたに憑依することを狙っているから注意したまえ。

 

 

2005年5月29日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp