イエスの死と復活を象徴する伊雑宮の御田植祭


どうやら伊雑宮は、伊蘓宮から来ているようだ。

やはり、伊雑宮は、ただものではなかった。

「イエスの復活神社」だった。

だから、伊雑宮は復活する。伊勢神宮は、3社から成る。

内宮と外宮とそして伊雑宮である。

これで三位一体だ。

伊雑宮の祭りは、「太一」が祭られる。

Wikipediaによれば、「太一(たいいつ)」とは、古代中国における宇宙の根元を表す哲学的概念、または天の中心に位置する星官(星座)、またはその神格であり、大一・泰一・太乙とも書く。太は至高を、一は唯一・根元を表す語である。

つまり、「太一」とは、宇宙の根源である唯一至高神を表す。

さらにWikipediaによれば、「太一は以下の物を指す。何れも同一視されることが多い。1. 太極(たいち)2. 北極星 3. 大日如来 4. 天照大神」。

つまり、伊雑宮で崇拝されている天照大神とは、「宇宙の根源である唯一至高神」なのだ。

我々の「神道は多神教だ」との常識がいかに偽りかお分かりだろう。

伊雑宮は、唯一神を祭っているのだ。

さて、国の重要無形民俗文化財に指定されている伊雑宮の御田植祭または「磯部の御神田(おみた)」では、この唯一至高神をどのように扱うのか。

この「太一」と書いた大きな団扇(ゴンバウチワ)をずたずたに破く。


女児が演じる早乙女が早苗を取った後、裸の男たちが泥田で忌竹(いみだけ)やその先についた大団扇を奪い合う。神田の端にたてられた大竹の先には、宝船など縁起ものが描かれ、ほかに「太一」と大書してある。「太一」は北極星だから、天帝という意味だろうか。
合図とともに神田に倒された大団扇は男たちにずたずたにされ、その破片を船に供え、航海の安全・大漁を祈願する。
その後、二人の少年が「刺鳥の差の舞 さいとりさしのまい」を演じる。掛け声、太鼓と笛に合わせ数え唄を歌う。
一ツ 日の本神代の昔
二ツ 不思議のかの真名鶴が
三ツ 瑞穂をくわえて来る
(中略)
九ツ この田を首尾よく植えて
十で豊けき秋祈るなる
(磯部には鶴が落とした稲が元で米どころになったという伝説がある)
http://210.165.9.64/isehakusandou/e/dd81ac69eb0ae4566ae9a944384b72ed

唯一至高神が滅ぼされる。

これが、伊雑宮の神事である。

まさに十字架だ。

宇宙の至高神であるイエスが死んだ。

この破壊の儀式は、苗場を三周半回って行われる。

「やがて立人、早乙女等が御田に下り、手を取り合い苗場を三周半し、・・・立人が青竹を杭から解き、三度扇いで御田の中心に向って倒すと、近郷漁村の青年たちが下帯姿になって田に入り、竹の奪い合いを行います。」

なぜ三周半なのか、というと、完全数7の半分だからだ。

普通の人間の生涯を完全数7とすると、3.5で死ぬことは、途中で命を取られたということを示す。

つまり、イエスが殺害されたことを象徴する。

この太一の団扇は、その後、持ち帰られて「船に供え、航海の安全・大漁を祈願する」。

つまり、イエスの死によって、契約の民が生きることを象徴する。

これは復活である。

一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12・24)

死んで実を結ぶ。

伊雑宮の御田植祭は、イエスの死と復活を象徴している。

 

 

2009年11月1日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp