「原語に忠実に」では足りない


> このところの聖書翻訳の話ですが。
> 新改訳聖書のあとがきには「原語に忠実に・・・」とあり、「新約はネストレの
> 校訂本二四版、旧約はキッテルの三版以後のものに基づき、訳業を進めたが、問
> 題の箇所については、正しい本文に近づくことに努め、欄外注に、その根拠を明
> らかにするようにした」と書かれています。また、この度マルコーシュパブリケ
> ーションから出版される現改訳聖書の翻訳原則@は「原語に忠実に訳する(当た
> り前のことですが)」と書かれております。↓
> http://jesuscom.org/malkoushu2/special_bible/special_bible_03.htm
>
> 写本について新キリスト教辞典(いのちのことば社)によると、大文字写本(シナ
> イ写本、アレキサンドリア写本、ヴァチカン写本、エフライム写本)は本文確定
> 上重要な資料となっており、小文字写本はパピルス写本に等しい価値は認められ
> ていないと書かれています。また、聖書学素人のクリスチャンはネストレだとか
> キッテルだとか言われても何のことだか解らないし、福音的な神学者が心血注い
> で翻訳したものであれば、何の疑問も持たずに手にする日本語聖書のそれが、あ
> たかも霊感されたものであるかのように錯覚するほどの信頼を置いていることと
> 思います。

写本の問題にまでなると本当に専門的になり、聖書学者の研究にゆだねるわけですが、実は、彼らがリベラル神学の影響に寛容で、聖書を信仰によるのではなく、科学によって研究することを許していたわけですから、本当に困ります。

写本そのものが、ほとんど歴史上使用されておらず、歴代のクリスチャンが1400年も使っていたものを惜しげもなく捨てていたということは非常に由々しい問題です。


> ※同じくいのちのことば社の新聖書注解によるとヨハネの福音書7:53〜8:11は“
> 信頼性の高い”古写本にはすべて欠けているとありますから、やはり素人クリス
> チャンは手にしている聖書の原典性に問題があるなどと疑うことはありません。

写本が古ければよいというリベラルの判断は科学的であり、信仰的ではありません。
「科学は信仰の下に置かれるべきである」というクリスチャンの知識に関する原則を犯したミスです。
私たちは、ずっと福音派の聖書学者を信じてきましたが、ディスペンセーショナリズムと同様に、あてにならないということなのだと思います。
1900年ごろから、本格的に世界のクリスチャンは聖書を読むことができませんでした。

> 誰もがより原典に近い神の言葉を欲しているはずなのに、なぜ、こんなに重要な
> ことが見過ごされて来たのか、とても残念なことです。
> この問題の解決のためには、マジョリティーテキストに基づく聖書翻訳が喫緊の
> 課題ということになりますね。

そうですね。

 

 

2009年9月14日

 

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