不正がそのままで済むはずはない


世の中で道理が通らないことはよくあるが、私の経験から言うと、だいたいおかしなことをやる人とか会社とか商店は、それ相応の結果を出す。

自分が「これは、むちゃくちゃだよ」と感じたら、だいたいほかの人(ただし正常な感覚の人)もそう思っていると見てよい。

むちゃくちゃ傲慢で、客を客とも思わない商店とか、部下へのいじめがひどい上司とか、社員を虐待する会社とか、私の人生の中で一つとして裁きを受けていないものはいなかった。

だから、私は、自分で復讐しない。

ある程度抗議はする。なぜならば、相手を威嚇するためだ。

相手に対して自己防衛をしないと相手にサタンが入ってこちらを滅ぼそうとするから、厳しい対応をする。

しかし、ある程度やってそれでもしつこくやるようなものには、何もしない。そして、その人から離れる。

そして、神に委ねる。

神に委ねたら神がやってくださる。

もちろん、自分に非があるならば、問題は自分にあるから、裁きはない。

しかし、明らかに相手が筋が通らないことをごり押しする場合には、神は裁きを行われる。

ある教会で、牧師に内緒で集会を開いて自分のグループを作る女性がいた。

とにかく目立つことが好きで、学歴は詐称するわ、自分で勝手にお墓を作って寄付をするわ、大変だった。

次第に反逆を行うようになって牧師を困らせるようになった。

最後にどうなっただろうか。突然死した。

これに類する話はたくさんある。

故本田弘慈先生が、牧師をしていたころ、ものすごくうるさい長老がいて、ほとほと疲れ果てた。そうしたらあるとき突然死したそうだ。

もちろん、全部突然死するのが悪いとか裁きと言うわけではない。

病気や死は、誰にでも起こる。

しかし、神の裁きは、そういった自然の出来事と違う。

本当のクリスチャンならば、明らかに分かるものだ。

ディスペンセーショナリズムは、「裁きは来世にあるのであって、現世ではない」と教えるから、今のクリスチャンは、裁きについて知らない。

そういう情報を鼻で笑うところがある。

しかし、神はこの地上を支配する王であるから、必ず悪を罰し給う。

不正がそのままで済むはずはない。


思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。(ガラテヤ6・7)

 

 

2010年9月18日

 

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