モナリザはマグダラのマリアだった?


レオナルド・ダビンチに関するTV番組日本テレビ『超歴史ミステリー!ルーブル美術館の秘密「ビートたけし大発見独占公開!モナリザは…もう一枚存在した」』を見てひとこと。

ダビンチは、シオン修道会(ばら十字会)という秘密結社に属しており、キリストがマグダラのマリアと結婚し、隠し子がいたと信じていた。モナリザは妊娠したマグダラのマリアの肖像である、という。

ルネサンスは人間の回復をテーマとしてうたったが、具体的に目指していたのは、聖俗の境界線の撤廃であった。

ダビンチは、依頼されて描いた「岩窟のマリア」で、聖人に後光を描かなかったために、当時の教会から受け取りを拒否された。

聖母マリアも普通の女性であり、イエスも性欲を持ち、隠し子までも作っていた普通の男性であった。その証拠が、妊婦となったマグダラのマリアであった。

ダビンチは、このスキャンダルを『モナリザ』や、『最後の晩餐』(イエスの左横にいる弟子は長い髪をした女性である)の中に隠した…。

この番組を見て、まさに、今のハリウッドがやっていることと同じであると感じた。

モナリザは、キリストから神性を剥奪し、彼を一人の煩悩に苦しんだ若者として描いた映画『荒野の誘惑』、キリストを善意の革命家の一人として描いた『ジーザスクライスト・スーパースター』と、根底において同じ目的を持っていたということだろう。

まさに異邦人らしい稚拙な間違いである。

「女弟子との間に隠し子を作った教祖」なんて、三流ゴシップ週刊誌でも取り上げない。

グノーシスから、ルネサンス、啓蒙主義、そして、現代ヒューマニズムと、「知識による救い」を唱える異邦人の思想的源流は、「善悪の知識の木」にある。

サタンは、悔い改めてキリストを信じ、贖罪を受け入れる、という聖書の倫理的救済法を回避するために、知識を得れば救われるという「悔い改めを必要としない環境決定論的救済法」を人類に受け入れさせてきた。

いくら芸術的な才能を持っていても、サタンの流れの中にいる限り、我々はこの画家を手放しで推薦することはできない。

マグダラのマリアとイエスのそのような関係など聖書のどこにも記されていない。

聖書が一貫して主張しているのは、キリストの妻とは教会である、ということだ。

教会とは、地方教会だけではなく、全クリスチャンの集まりと、再生された世界全体である。

キリストは十字架において、天地にある一切のものを聖め、復活させ、神と和解させ(コロサイ1・20)、そして、この聖別された被造世界全体を花嫁として迎えられた。

紀元70年以降、この世界は法的に「キリストの花嫁」である。

クリスチャンは、この法的花嫁を実際の花嫁とするべく働いている。

結婚は、神と被造世界の契約的合一を象徴しているのである。

世界歴史の目的とは、神と被造世界全体が法的だけではなく、実際的にも完全に和解して、一体化することである。

すべてが完全に調和することである。

女弟子と結婚して隠し子があったなどという低劣なゴシップなど出る幕はないのである。

 

 

2005年3月27日

 

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