再建主義批判のサイト(米)への応答5


<RNCI>
「キリスト教」再建運動(CRM)は、「クリスチャンには神から文化命令が与えられている。この時代に人間社会の統治を回復しなければならない。堕落後失われたこの統治権を、新生体験をした人々は取り戻すことができる」と主張する。クリスチャンがこの命令に従うにつれて、徐々に地上社会の統治は回復する。この世界は「キリスト教化」され、千年王国が始まるだろう。事実、地上のすべての社会は旧約聖書の「セオノミー」の法制度のもとに置かれるだろう。新約聖書は、クリスチャンをこの世から「呼び出された」聖徒の群れと呼んでいるにもかかわらず。彼らは、旧約律法を今日の社会に適用することを望んでいる。刑務所の代わりに奴隷制度を導入し、様々な犯罪(殺人、同性愛など)に対して死刑を適用しようとしている。これは、社会を神裁主義に基づいて再建することを目指すポスト・ミレ思想である。

<tomi>
(1)
「事実、地上のすべての社会は旧約聖書の「セオノミー」の法制度のもとに置かれるだろう。新約聖書は、クリスチャンをこの世から「呼び出された」聖徒の群れと呼んでいるにもかかわらず。」

新約聖書は、クリスチャンをこの世から「呼び出された」聖徒の群れ(エクレシア)と確かに呼んでいるが、しかし、この筆者が考えるような「呼び出されたが、後はこの世界と無関係になる」者としては描いていない。

職業のことを英語でcallingと言うように、神が呼ばれるのは、「仕事をさせるため」である。

「召しを受けた」と言った場合にそれは、普通教会では、「宣教師や牧師になるように神に呼び出された」と言う意味である。

「呼び出された人々=ただひたすら携挙を待つ人々」という図式は、新約聖書にも旧約聖書にもないのだ。

我々がこの世から呼び出されたのは、「地を従える」(創世記1・28)ためである。それは大宣教命令においてはっきりと言われている。

「すべての国民を弟子とせよ。バプテスマを授け、私が守るように命じた教えを守らせよ。」

この命令のどこに、「何もしなくてもいい。地上統治なんて無関係だ。ただ携挙を待っていればよい」なんていう教えが記されているだろうか???

すべての民族・国民をキリストの弟子とせよ、キリストの命令を守るように教えよ、訓練せよ、と言われているではないか!!!

(2)
「刑務所の代わりに奴隷制度を導入し、様々な犯罪(殺人、同性愛など)に対して死刑を適用しようとしている。これは、社会を神裁主義に基づいて再建することを目指すポスト・ミレ思想である。」

刑務所制度は、犯罪を国家に対するものという定義のもとに作られた制度であって、被害者に対する弁済の制度ではない。

何年服役しても、被害者がそれで弁償されるわけでもなんでもない。これは、著しく正義を欠いたシステムである。

近年の犯罪者の増加により、刑務所の収容能力が限界にきている。

奴隷制度とは、誤解されるが、聖書において弁済のシステムなのである。泥棒や、相手に何らかの形で損害を与えた人間に強制的に労働をさせ、弁済させるシステムである。もし、相手にそれ相応の財産があれば、お金で解決できるので、拘束すべき人間の数を減らすことができる。

最長でも6年間で、その主人の家族の一員として扱われ、財産の分与にすら与れる。

我々が想像するような奴隷(アフリカ人奴隷)のようなものではない。

(3)
我々が、神裁政治をなんだか前近代の遺物のように見てしまい勝ちなのは、教育が民主主義を絶対と教えてきたからである。権力を分散して、大勢の人々がみんなで知恵を出し合って決めれば、正しい政治になる、という幻想を抱かせたためである。

神=前近代、神裁政治=前近代・・・。

果たしてそうか? 現代であっても、人々は神を捨てない。 むしろ、宗教人口は増えている。

セオノミーに対するアレルギーは、自分が受けた教育によって洗脳されてしまったからである。

創造者の言葉による統治がなぜにそんなに理不尽と感じられるのだろうか。創造者でもない人間の言葉による統治のほうが理不尽ではないだろうか?

 

 

2006年2月21日

 

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