フルプレテリズムは世界の「法的側面」と「実際的側面」を混同している2


この聖書における「法的側面」と「実際的側面」は非常に重要な概念である。

神がイスラエルの人々にカナンの土地を与えたのも同じ方法である。

まず、神は、「カナンの地をあなたがたに与えた」と宣言された。

「またわたしは、カナンの地、すなわち彼らがとどまった在住の地を彼らに与えるという契約を彼らに立てた。」(出エジプト記6・4)

これは、「予言」ではない。

これは、「宣言」である。

その土地に関して部外者が「きっとおまえたちの土地になるだろう」と予言しているのではない。

神は、カナンの土地の真の所有者なのだから、神が「あそこはおまえの土地だ」と言われたら、それは「所有権が移譲したという宣言」なのだ。

つまり、イスラエル人は「法的な所有者」となった。

しかし、彼らはまだ「実際的所有者」ではない。

実際的な所有者になるには「戦い」が必要である。

だから、神は、この宣言の後で「行って征服せよ」と命令されたのだ。

「見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」 (申命記1・21)

聖書の支配の方法は、このように、

(1)法的立場(権威)の宣言
(2)実際的活動命令

から成り立っている。

イエスは昇天する前に、弟子達に現われて、

(1)私は天においても地においても一切の権威が与えられてる。
(2)だから、行ってすべての国民を弟子とせよ。

と言われた。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。』」(マタイ28・18-20)

イエスは、弟子達に、

(1)おまえ達に悪霊を追い出す権威を与えた。
(2)行って実際に悪霊を追い出してきなさい。

と命令された。

「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。…イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。『異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。』」(マタイ10・1-8)

我々クリスチャンは、神から世界の支配者としての権威を与えられた。それゆえ、我々はキリストとともに世界の王である。

「しかし、あなたがたは、…王である祭司…です。」(1ペテロ2・9)

「あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示録5・9-10)

「しかし、あわれみ豊かな神は、…罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、…キリスト・イエスにおいて、…ともに天の所にすわらせてくださいました。」(エペソ2・4-6)

このようにクリスチャンには王としての権威があると宣言されている。

つまり、(1)の宣言である。

そして、神は我々に命令される。

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28・19)

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16・15)

つまり、(2)の宣言である。

クリスチャンは法的に王である。しかし、実際にクリスチャンが王になるには、伝道が必要である。

法的に王になったのだから何もしなくてもよい、ということではない。

神は、クリスチャンに戦いを命令しておられる。

これは、武力による戦いではなく、聖霊による戦いである。悪霊と戦って聖霊によって世界にクリスチャンを増やし、諸国民が喜んで聖書律法を国の基本法として選択し、あらゆる国や民族がクリスチャンになることを目指すのである。

世界を変革する働きは、(1)権威の付与(2)実際の働きという2つの段階からなっている。(1)はすでにすんだ。我々には世界変革のための権威が与えられている。後は、実行するだけである。

この構造は、長らくディスペンセーショナリズムによって妨害され、人々の目から隠されてきた。

しかし、今、我々は、世界の変革のために、世界の諸民族の弟子化のために立ち上がるべき時だ。

 

 

2004年6月15日

 

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