神は世界の回復の過程で日本に偉大な使命を与えておられる2


(1)
真名井神社を訪問した後でK氏は、天橋立について次のように述べた。

「まるで聖書に出てくるヤコブの梯子じゃないか。地上での接点が真名井神社だとしたら、あそこはこの世界(地上界・現世)への入口っていうのか、要するに地上における出発の地点で、終点は伊勢神宮と言う事になる。真名井神社と伊勢を結ぶ道の両端にダビデの星があるって事はやっぱり問題だな。」(http://www.millnm.8m.com/phileo/kusakabe/html/62.html

実は、これと似たことを八咫烏が飛鳥氏の本の中で述べている。

「・・・天照大神の大和における最初のご神体の上陸地点は籠神社、最後の鎮座場所は伊雑宮、よって両社は阿吽で本伊勢と名乗っている」(『心御柱の謎』、学研313ページ)

真名井神社は籠神社の奥宮であり、伊雑宮は伊勢神宮の別宮。どちらの社紋も六芒星(ダビデの星)である。

阿吽(あうん)とは、日本語の五十音の最初の「あ」と最後の「ん」のこと。つまり、阿吽は最初と最後の象徴である。

イエス・キリストは、「わたしはアルファであり、オメガである」といわれたので、日本語で言えば「わたしは阿吽である」ということになる。

伊勢神宮の遷宮の出発点と終着点のどちらの神社のマークも六芒星であるというのはどういうことだろう。

「〜は、はじめであり、終わりである」と言えば、その「〜」が「すべてのすべて」であることを意味する。聖書において「〜は、はじめであり、終わりである」といえば、その「〜」は絶対神であることを意味する。万物の出発点、つまり、創造者であると同時に、万物の終着点、つまり、目的となれば、その者を「絶対神」と言わざるを得ない。

神道の総本山である伊勢神宮の「はじめ」と「終わり」、つまり、伊勢神宮の「すべて」は六芒星なのだと、神道の大元締め八咫烏が証言したのである。

以前、K氏のところにやってきたある神道研究家が「日本はカゴメ紋(六芒星)で埋め尽くされている」と言った言葉が真実味を帯びてきた。

神道の中心の象徴が六芒星であれば、全国の神社の象徴がそれであると言っても無理ではないからだ。

(2)
日本は鳥居に溢れている。どこに行っても鳥居がある。

神社の境内に入るには、鳥居をくぐらなければならない。

古代イスラエルにおいて門は、裁きを行う場所であった。門とは、テストを象徴する。

「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。」(ルカ13・24)

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。」(ヨハネ10・1-2)

門をくぐるには、それなりの資格がなければならない。鳥居は、鳥が入る者をチェックする場所である。

門は濾紙のようなもので、異物は排除され、適者だけが中に入ることができる。だから、家でも、門の中と外では霊の働きが異なるのである。門に一歩足を踏み入れると、違う霊の働きを感じることがある。

これは、部屋についても言える。部屋ごとに働いている霊が違う場合がある。たとえば、私は仏壇がある部屋に入ると、他の部屋とは違う暗いどんよりとした霊が働いているのを感じる。

部屋と部屋の境には鴨居がある。ここでも鳥(鴨)がチェックするのである。

日本は、鳥居と鴨居に溢れている。日本は鳥によってチェックされている国ではないか。鳥によって守られている国ではないだろうか。

このことは、幕屋のいたるところにケルビムが織り込まれていたことを思い出させる。

ケルビムは天使であり、羽を持ち天界と地上界を行き来する。天の神の御心を地上の人々に届ける働きをした。そういう意味において、ケルビムは預言者をも意味している。

日本という国は、ケルビムによって守られている神域、神の幕屋なのではないだろうか。

(3)
私は、カゴメ紋は、「籠」を象徴していると考える。

日本は長い間、巧妙な国仕掛けによって、籠の中に入れられていたのだろう。そして、この中に入っている日本人は、鳥なのだろう。

かつてこのHPで述べたように、「烏帽子」や「ちょんまげ」は日本人が鳥であることを象徴するのだろう(驚くべきことに、飛鳥氏も同じことを本の中で述べておられる)。

日本人は、長い間、非常に尊いものを外敵から守ってきた。それと同時に、彼らは大きな籠によって自由を奪われてきた。

日本人は、自分がいったい何者で、誰を神としてきたのか、そして自分たちが守ってきたものが何であるのかを知らずにきたのである。

しかし、今や、そのような無知の時代、束縛の時代は過ぎ去った。

日本人は、日本という国が本当に崇敬してきた神がイエス・キリストであったことを悟るべきである。(*)

そして、本来の働き、神のケルビム、預言者としての働きを開始すべきである。

八咫烏が日本の本来の姿を国仕掛けによって隠してきたのは、日本に存在するものがあまりにも尊いからである。それがもし明らかにされれば、サタンによる猛烈な攻撃があって、破壊されるからである。

日本の昔の人々は、万人の目からそれを隠すために、伊勢神宮をはじめ、全国に壮大な謎の仕掛けをして、人々の目がそれに触れないように取り計らってきたのだろう。

その仕掛けが不要になる時まで。

「カゴメ、カゴメ、籠の中の鳥はいついつ出やる。・・・」という童謡には、この真理が隠されているという。

籠の中の鳥は必ず出る!それは、「夜明けの晩に」である。

八咫烏は、飛鳥氏との会談の最後に次のように述べ、深いため息をついたという。

「投じられた一粒の石が起こす波紋は、やがて池全体へと広がり、そこに留まる鴨たちを四方へと飛び立たせるだろう」(同上、395ページ)


(*)
八咫烏は、日本という国号と日の丸には、十字架が隠されていると述べた。

「『日本』と『日の丸』は一体である。よって『日本』の文字に十字架が隠されている。」(同上、359ページ)

日は天照大神を表し、本は、「大」と「十」に分けることができ、人が十字架についていることを表すという。

つまり、日本とは、「天照大神が十字架についている」ことを表すのだと。

 

 

2004年10月16日

 

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