集団や組織を繁栄させるには



保坂展人氏によると、年金の積み立て金は、特殊法人「年金運用基金」の稚拙な資金運用によって巨額の損失が出ているという。

「年金は国民の積立金が150兆円を上回る世界最大の規模となっている。ところが、厚生省の天下り官僚の温床となっている特殊法人(年金運用基金)が、あろうことか株式市場 でこの虎の子の資金を運用し、巨額の損失を出しているのを御存知だろうか。」

http://www.hosaka.gr.jp/diary/diary1.html

しかし、誰も責任を追及されていない。

これは恐ろしく奇妙な制度である。

これだけの大きな失敗をしても誰にも裁かれないで残っている!

これまで国の失態で責任を取らされてきた人間はノンキャリである。キャリアが裁かれることはめったにない。

日本は、キャリアという王様には裁きが及ばないようにできている非常にゆがんだシステムなのである。

我々は、聖書からこのようなシステムが間違っていることを学ぶ。

聖書では、人間はことごとく神の契約の下にいて、神の契約の規定によって裁かれるべき存在である。

人間の制度は、この「神の元にあって評価される人間」という構図を具体化するために存在する。

だから、人間の制度は、「神の代わりに罪人を裁く」責任がある。

人間の制度が罪人を裁いて、地上に義の支配をもたらすことに失敗すれば、神はその制度そのものを裁かれる。

これは、会社の支店で起こったある社員の不祥事の責任を支店長がその社員に対して負わせることに失敗した場合に、その支店長が処分されるのと同じである。

支店は、会社のために存在するから。

人間は、神のために存在し、神の義を地上においてあらわすために存在する。

神は、それぞれの領域に権威を設定され、その権威に仕事をゆだねる。

たとえば、総理大臣や国会議員は日本を国のレベルで治めるために任命される。市町村議員は、地方自治体のレベルで収めるために任命される。会社の社長は、会社を治めるために神に任命される。…

どの権威者も、神から直接に任命されてその地位につくことができたので、神に対して責任を負っている。

「私は神を信じませんけど」といっても同じである。自分が誰に任命されたか知っていても知らなくても、どちらであっても、神に任命されたという事実を覆すことはできない。

神の許可なしに起こることはこの地上で一つもないのである。

国会議員が、権威に逆らって、不祥事を起こせば、国の法律にしたがって裁かれる。裁かれるときに神の義の要求は満足される。

人間の集団が長いこと存立し、繁栄するためには、神の御心にかなったことをやりつづけなければならない。そのためには、どうしても、裁きが必要である。

違反者を処罰せずに長生きできる組織はない。

だから、今のようなキャリア無謬論に基づくシステムは早晩崩壊せざるをえないのである。

役人がめちゃくちゃなことをやって黙っておられる神ではない。

神は、国が彼らの失敗を裁くことを待っておられたが、いつまでたっても、特殊法人は減らず、役人が年金や郵便貯金を勝手に使って、大損を出しても誰も裁かれなければ、神が直接動かれるだろう。

我々は、「人間はみな契約的存在である」という事実を忘れてはならない。

契約とは、
(1)超越と内在
(2)ヒエラルキー
(3)規則
(4)賞罰
(5)継承
から成り立っている。

神(1)は、ある人間を代理者として組織の上に立て(2)、神の規則にしたがって(3)、組織を統治し、神の定めに違反した人間を裁き、従った者を誉める(4)責任がある。そして、このシステムを次世代に継承させ、義の支配が世代をおうごとに強くなるように腐心すべきである(5)。

国家から中学の運動部に至るまで、あらゆる人間集団はこの5つの条件によって神から評価されている。

集団を繁栄させ、長寿にしたいなら、契約の規定(聖書律法)にできるだけ従うように努力すべきだ。

 

 

2005年3月14日

 

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