思想を選別抜きで受け入れるのは霊的幼児の特徴である


我々の体は、神殿、エデンの園である。

悪い食べ物を口から入れないために、我々はそれを味覚や臭覚や視覚で判断する。

同じように、悪い思想を入れてはならない。

悪い思想、異端の教えが体に入ると、体は害を受ける。

悪い思想を入れないためには、大人になる必要がある。

幼児は何でも口に入れる。

タバコを食べてしまう事故がよく起きる。

大人は経験と知識によって何が悪いものであるか識別できる。

同じように、霊的な幼児の特徴は、「何でも受け入れる」というところにある。

教えの風に吹きまわされる。分別なく、あちこちいろんな思想を雑多に吸収する。

今日、教会や教会員が教えの風に吹きまわされているのは、識別の訓練が欠けているからである。

そもそも、正しい教えを学んでいない。

そういう本が日本語で出ていない。

良書が売られず、レフト・ビハインドのようなトンデモ本がクリスチャン書店の店頭に並んでいる。

これじゃあ訓練どころではない。

古物の商いにおいて、目利きになるための一番の訓練は、「本物を見る」ことだという。本物のローレックスをたくさん見ていれば、偽者が分かるようになるという。

良書がない以上、我々は聖書を熟読、多読するしかないのだ。

我々が学校などで教えられたことや、世間の常識などに影響されずに、聖書は何と言っているか、ということに集中する。

そうすれば、間違った教えを判別できるようになるだろう。

サーバーをハッカーから守るために、ファイアーウォールというヴァーチャルの壁がある。

この壁を崩すと、サーバーはめちゃくちゃに破壊されるだろう。

これと同じように、もし我々が教えを区別せずに受け入れるならば、我々の魂は徹底して破壊される。

サタンは我々の信仰を破壊するために、「火矢」を放っている。

それを信仰の盾で防がねばならない。

カウンセリングにおいて気づくのは、お人よしほど、気持ちがやさしい人ほど、悪霊の攻撃に遭いやすいということだ。

ある人は、小さい時から人の顔とか言葉などに敏感に影響されたという。

顔の表情一つがストレスになるという。

「外敵から自分を防衛する」ということをしてこなかったからだ。

人の言葉、思想、教え、こういったものを我々は自分の頭の中に入る前に、手前で撥ね付けなければならない。

「異端の人にやさしく受け入れてあげましょう」なんてことは聖書に書いてない。

「あいさつもしてはならない」「下着すらも忌み嫌え」と言われている。

なぜならば、巻き込まれるからだ。

異端には近寄ってはならないのだ。

我々にとってファイアーウォールとは、聖書である。

聖書によって正しいか否かを判断する。

聖書だけが我々の防御壁である。

思想を軽々しく受け入れる人は、毒入り餃子でも何でも食べてしまう人間に似ている。

異端を区別するのは、愛の欠如だとか言う考えがはびこっている。

敵が吹き込んだ「間違った愛」である。

我々は、エデンの園の壁を壊してはならない。

自分を守るため、異なる思想を聖書でチェックし、それが頭に入って支配されることのないように、手前で排除することだ。

 

 

2008年9月1日

 

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