土俵は御神域であり力士は神官である


朝青龍が引退した。暴力事件を起こして。

そもそもあのような相撲に対する敬意がない人間がここまで上ることができたのが不思議だ。

相撲の土俵は、茅の輪なのである。

これは、神社でくぐると罪を祓うことができるとして鳥居にくくりつけられる輪である。神道で「祓い」とは、罪の贖いを意味する。
http://www.millnm.net/qanda3/88xvhGuGTW0OE38151.htm

つまり、土俵は、血の贖いの中にいる人々、つまり、契約の中にいる人々を意味する。だから、土俵は神聖と世俗を区別する結界なのである。

あの中には神官だけが入ることができる。力士は神官である。

土俵の中は塩で聖められなければならない。塩で聖めるとは、聖書の方法である。ユダヤ人は、力士が塩をまく動作をすぐに理解できる。

朝青龍が土俵に上るということは、「荒らす憎むべきものが聖なる場所に立つ」と同じようなものだ。

若貴問題も、相撲を汚した事件であった。

力士は、神官としての聖さを意識すべきだ。

ちなみに、あの茅の輪くぐりは、別名「胎内くぐり」ともいう。


茅や藁でこしらえた相撲の土俵のような輪。6月晦日(30日)に、この茅の輪を鳥居にくくりつけ、くぐり抜ける「胎内くぐり」のイベントがある。この場合、鳥居は膣口、茅の輪は子宮をシンボライズしたものと考えられる。 ...
http://members3.jcom.home.ne.jp/seihaku/data/term/04-2.html
www.minpaku.ac.jp/research/pr/040218_kumakura.html

神道がこれほど聖書の思想と近いのかと驚嘆してしまう。

聖書において、人間の体は宮、つまり、神殿である。

性交は、礼拝行為である。偶像礼拝は、他の神との姦淫と呼ばれている。

女性の体は、宮であり、男性は礼拝者である。

男性は、割礼を受け、血を流さねば、契約の中にいる女性と結婚できない。

血による契約の中にいる男性だけが、契約の中にいる女性と性交できる。

茅の輪くぐりが、胎内くぐりと呼ばれているのは、神社の境内が女性の胎内であることを示しており、聖書の思想とまったく同じである。

性交は、礼拝行為なのである。子供が宿る場所を子宮と呼ぶのはまことに実質をあらわした的確な名称である。

 

 

2010年2月10日

 

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