キリスト教を外来宗教と見るべきではない


『隠された皇室人脈 憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?』の著者園田 義明氏が萬晩報に興味深い文章を投稿しておられる。

http://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

『側近日誌』(文藝春秋)に書き残した木下によれば、昭和天皇は、日本人が付和雷同の気質を持つので、「宗教心を培って確固不動の信念を養う必要がある」とのお言葉を残されたそうだ。

園田氏によると、この「宗教心」とは神道だけではなく、キリスト教も含まれていた。

どうして皇室はキリスト教に好意的なのか。非常に多くの側近がクリスチャンであった。なぜか。

この疑問に対して、「日本古来のものと西洋のキリスト教との対決」の構図から見ていくのが普通だろう。

園田氏の著書にもこのスタンスが見える。

しかし、私は対立図式で見るべきではないと考える。

日本はもともとキリスト教だったのだ。

天皇家はキリスト教を継承してきた。

「え〜!」という声があがるだろう。

私がこの10年あまり体験してきたこと、導かれてきたことによればそう考える以外にはない。

古来、天皇家の行事を担当してきた秦氏は、三位一体を信じるキリスト教徒であった。日本の造化神は三位一体神である。

天皇家の最も重要な行事である大嘗祭は、バプテスマ、聖餐、献身と極めて類似した3要素からなる。

詳しくは、拙文を参照されたし。

http://www.millnm.net/qanda3/kasetsu.htm

日本にはキリスト教が隠されていた。

近代の天皇家は、外来の異質な宗教を受け入れたのではなく、もともとあったものを再確認したのだ。

時が来れば天皇家も、日本国民も、自らのルーツを知ることになるだろう。

神が日本人を特別に選んでおられるということも。

 

 

2008年6月21日

 

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