教会成長学は異端である


・・・デューク神学校教授スタンリー・ハウアーウォズは、教会成長学を異端と呼ぶ。


教会成長学は、・・・イエスを売り込むための資本主義的マーケティング技術の完全な例証である。これに対して、キリスト教は、福音の誠実性をどのように捉え直すべきだろうか。我々は声を挙げ、ウィロウ・クリーク(http://en.wikipedia.org/wiki/Willow_Creek_Community_Church)を異端と呼ばねばならない。

彼は、教会会員数があまりにも強調された結果、キリスト教の基本的な教理と実践が軽視されていると述べる。

その結果、クリスチャンとは一体何であるかということが教会においてあいまいになっている。

たしかに、メガ・チャーチ(と、メガ・チャーチを目指す教会)の多くが奉じている浅薄な・・・神学は、教会成長への取組みがもたらした負の影響の好例である。

この影響により、教会は、教会に出席することを望まない人々にとって魅力的になろうとして自分自身を安売りするようになっている。

神学的に正しい態度とは、教会が自らを証人として自覚することである。つまり、キリストの死と復活の結果、または、それへの応答として、新しい生き方を示すことである。赦しと、他者を赦すことによって得られる自由が必要であるということを理解する民として生きることである。

証人となることは、あたかもウィンドウショッピングをしているように教会を渡り歩く人々にとって魅力的ではないかもしれないが、自己中心的・個人主義的で、暴力的な社会的基準に対する一つの代替物として自分自身を提示する責務を負う教会にとって極めて重要である。

http://scottlenger.com/christianity/church-growth-is-heresy/

 

 

2007年8月20日

 

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