神はあなどられるお方ではない


<fms様>

三菱自動車を律法で裁けば・・・

富井先生。

連日マスコミで報じられる三菱自動車のリコール隠し事件は、あまりにもひどすぎる内容ですね。
社長の罪は、もはや「故殺人」のレベルではないでしょうか?
業務上過失致死で済まされるような問題とは思えません。

律法で裁けば、社長や会長には「死刑」が妥当だと思いますが、いかがでしょう?

fms

<tomi>

そうですね。
あれは、過失ではないでしょう。
律法では、突くくせがあると知りながら放し飼いにした牛が人を殺した場合、故意の殺人と同等とされています。

この世界は、「責任」の世界であり、どんなにごまかしても、最後にはすべてが白日のもとにさらけ出される。

今回の事件は、三菱自動車だけではなく、「三菱」というブランドをも大きく傷つけた。ますます、日本において権威とされてきたものが崩壊していく。(*)

昔、因果律を唱えると、「え〜っ、善を行えば報われて、悪を行えば罰が下るなんて証明できるんですかぁ?」という科学オタクたちと議論したことがあります。

科学を過信する日本人はそろそろ気付くべき。

「この世界は人格的な世界だ!」ということを。

人格的責任を問われる神がおられるということを。

「神はあなどられるお方ではない。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになる。」

(*)
三井とか三菱とか、3つのものが1つに集まる家紋は、秦族に由来すると私はいま考えている。つまり、キリスト教の三位一体論と関係があると思う。三宅姓は秦系である。日本人には「キリスト教を信じなさい」というのではなく、「キリスト教に帰りなさい」といったほうが正確だと思うのです。

 

 

2004年6月17日

 

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