改憲ではなく、棄憲・創憲すべきだ


米国との戦争で敗れたというが、あれは敗戦ではない。

なぜか?

米国は禁じ手を使ったからだ。

いくら戦争とはいえ、ルールがある。

原爆投下、東京大空襲など、非戦闘員に対する数十万規模の大量虐殺は、もはや戦争ではなく、あれは犯罪だ。

不法かつ非文明的手段による野蛮な行為に屈した形になっているので、我々としては、あれを敗戦として受け入れるいかなる義務もない。

また、米国による支配を正当化しなければならない理由もない。

だから、我々は、日本国憲法を、我々が守るべき正当な憲法として絶対視すべきというわけではない。

真の独立、脱植民地化を達成するには、憲法を独自に制定する以外にはない。

我々は、日本国憲法を、外国による「自国支配に都合のよい法律」として退け、我々の祖先が独自に制定した大日本帝国憲法に照らしてそれを評価し、廃棄する権利を有するとしたほうがいい。

現行憲法の手続きに執着していてはいつまでたっても改憲はできない。第9条に縛られて、いつまでたっても軍隊を持つことができなければ、外国の脅威に立ち向かうことができない。そして、米国に防衛を依存していては、一番重要な点で妥協を迫られ、いつまでたっても国益を追求することができない。

日本の規則は日本人が作るべきだ。

外国の思惑や利害を超越し、日本人が日本人のために憲法を作る、この原点に立ち返るべきである。

そのためには、現行憲法の位置づけについて見直しが必要である。

現行憲法の手続きを絶対視する法的・同義的責任を我々は持たない。

現行憲法を改訂するのではなく、廃棄し、新しく日本人が作った憲法を制定するのが筋である。

 

 

2010年10月25日

 

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