聖書を改ざんする非6日創造論者を講壇に立たせてはならない


あなたは、毒の混じった餃子を目の前にして、それを一口でも口にしたいと思うだろうか。

「一度食してからでなければ・・・」なんて考えるだろうか。

絶対に口に入れないだろう。

これと同じことが、異端について言える。異端は信じると我々を地獄に落とす効果がある。わずかでもそれを脳裏に入れてはならない。味わうことは即死につながる。

進化論は異端である。進化論をわずかでも自分の考えに含めるならば、それは、我々を奈落の底に突き落とす。

御言葉に違反する教えは、すべて我々を地獄にいざなうものであり、それに対する我々の取るべき反応は、絶対的な拒絶以外であってはならない。

クリスチャンは、この猛毒を受け入れてきた。全的に受け入れたリベラル神学の人々は、ことごとく滅んできた。

部分的に受け入れた人々は、信仰と進化論を調和させ、実存主義的な解決を試みてきた。

つまり、「進化論の扱っている領域と信仰の領域は別だ」と。

彼らは、ヘーゲルの弁証法的な解決を取り入れて解毒しようとしてきた。

「進化論と真っ向から対決してはならない。それを受け入れつつ、信仰と混ぜ合わせて、さらに高次の段階に止揚すべきだ」と。

このヘーゲル的、キルケゴール的、バルト的な解決法は、「少量なら毒を口に入れても大丈夫。かえって薬になる」という解決法である。

この騙しの哲学・神学によって、教会は次第に力を失い、ついに死滅するに至った。

薬になるはずの毒が我々の体を衰弱させ、命を奪ってきた。

進化論と創世記の創造は、絶対に調和できない。

御言葉を恣意的に解釈することは許されない。

「日」は文字通りの「日」である。

聖書は一点一画たりとも地に落ちることはない。

日を文字通りの日として解釈しないクリスチャンは、聖書の一部を改ざんするという偽預言者の罪を犯している。

聖書を改ざんする者は永遠の刑罰を受ける。


私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示録22・18-19)

「都からの追放」である。

エデンの園からの追放。すなわち、永遠の裁きである。

聖書を無誤無謬としないすべての人は契約から除かれる。

契約から除かれた人を牧師としてとどめることは絶対にできない。教会は、これらの偽預言者を追い出すべきだ。

 

 

2009年1月8日

 

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