平等幻想からの解放3


第十戒「隣人のものを欲しがってはならない」という律法は、隣人の所有物を非合法的に奪うことを禁止する戒めである。

エペソ5・5においてパウロはこのような貪欲を偶像礼拝と呼んだ。偶像礼拝は人間の本質にあるものなので、貪欲はあたかも罪ではないかのような装いをして制度の中に組み込まれ、恒久化するのが常である。

フランクリン・ヒッチボーンは、このような貪欲の制度を「システム」と呼び、その記録はすでにアブラハムの時代のヌジの文書にすでに存在すると述べた。(Franklin Hichborn, The System, as Uncovered by the San Francisco Graft Prosecution (San Francisco: James H. Barry Company, 1915), p. 13f., ft. cited in Institutes of BL by R. J. Rushdoony, p. 647.)

何年か前に、静岡を旅行している時に、たまたま県のある市の出している広報を見てびっくりした。そこには、「市職員の再就職先を安定させるために外郭会社設立を計画中」という内容の記事が載っていた。
このような会社は、当然市の仕事を優先的に(もしくは独占的に)請け負い、高い値段で仕事を受注できるわけだから、間接的な税金泥棒である。

こういった記事が市の広報に堂々と載るほど「システム」は日本人のWay of Lifeになっている。

もうみんな分かっていることだが、役人のやりたい放題をこのまま野放しにすれば日本は滅びる。一度フジツボのようについた特殊法人や外郭団体を殺ぎ落とすのは至難の業である。小泉さんは「自民党をぶっつぶす」と威勢のよいことを言ったが結局何もできていないのは、抵抗勢力が強いだけではなく、日本人が「システム」に対して抵抗感がないからでもある。

それは、いわゆる野党と呼ばれている政党が掲げる綱領が自民党のそれと大差ないということからも分かる。福祉国家、社会主義、共産主義、社会民主主義は「システム」の別称である。「福祉を切り捨て、弱者を切り捨てる自民党の政策に対してわが党は…」と言っている時点ですでに自民党と同じことをやろうとしているわけだから、投票所に行くことに意味は(特定組織の影響を排除する以外)ほとんどないのだ。選択肢がまるでないのに投票にいったい何の意味がある?

「みんなでお金を持ち寄って、必要な人に割り振る制度はすばらしいじゃないか」という学校で先生が教えてきたのは、頭のよい連中が我々を騙すために作り上げた搾取の隠れ蓑である。考え方を180度変える以外に方法はない。

 

 

2004年5月14日

 

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