明治維新の本質3


中央銀行の設立自体では、近代国家建設の目的ではない。

なぜならば、中央銀行が発行する紙幣が兌換紙幣ならば、紙幣発行者にも労働をする責任があるからだ。

つまり、金と交換できる紙幣しか発行できなければ、中央銀行側も、金を入手するという努力が必要になる。金がないままに紙幣を発行できない。

究極的目的とは、紙幣を不換に変えることだ。

不換紙幣にできれば、近代国家の完成である。

それ以降、中央銀行は、50円の製作費で作った10000円と書いた紙切れで、10000円値のものやサービスを手に入れることができるようになる。

中央銀行は、神になる。

不換紙幣化は、「国民の絶対的奴隷化」なのである。

我々が歴史の授業でよいものであるかのように教えられている近代国家、そして、それを生み出す市民革命の本質とは、不換紙幣化による中央銀行の神化と、国民の奴隷化である。

市民革命を、市民の手に政治的権力が移り、王侯貴族と市民が平等の権利を得られるようになった出来事と考えると間違いである。

中央銀行と、その他の国民との間における「絶対主対奴隷の関係」の成立の出来事である。

だから、市民が権力を有するようになったはずなのに、実際は、市民が全面戦争に借り出され、50%を超える税金を払わされて、それ以前よりもひどい犠牲を強いられているのである。

金などの商品貨幣が流通している封建社会のほうが、不換紙幣の流通している市民社会よりも自由で平等なのだ。

金や銀という共通の価値を得るために、政府であれ、民衆であれ、平等に努力しなければならなかった時代のほうが、今の我々よりもはるかに合理的である。

レーニンは、「中央銀行は共産化の10分の9である(つまり、中央銀行を設立すれば、共産化の90%は達成された)」と言った。

真の自由とは、貴金属貨幣の復活、兌換紙幣の復活による以外にはない。

中央銀行制度を持つ近代国家が、それ以前よりも解放された自由な社会であるというのは、一種のプロパガンダである。

 

 

2010年5月26日

 

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