日本に関する我々の目的


このHPで扱っている日本に関するテーマは非常に重要である。

現在の我々の目的は、以下のとおりである。

1.歴史を正しく見直し、我々日本人にとって正しいアイデンティティを探ること。

世界を間違った方向に導く勢力があり、彼らによって日本が間違った役回りを与えられ、日本人自身が過去の歴史について原罪意識を持たされてきたことが明らかになりつつある。

反省すべき点は反省し、反省しなくてもよい点は反省しないこと。そして、ことさらに自分を卑下したり、自分を悪者と見ることをやめて、正しい民族意識を持つために大きな視野にたって歴史を概観する必要がある。

この作業を抜かして、我々は日本人としてのプライドを回復することは絶対に不可能である。

2.ヨーロッパ文明をはじめとする世界文明の中で、日本文明を正しく位置付けることによって、世界と共有できる普遍的な価値を日本から発信すること。

民族主義、愛国主義は、とかく偏狭な自民族中心主義に陥りやすいので、正常で健全な民族意識を持つためには、世界文明の中での日本文明の正しい位置付けが必要である。歴史における世界文明と日本文明の相互関係を探り、その関係の中から自分を相対化することなしに我々は世界に対して健全な民族的貢献はできない。

とくに民族主義者の台頭に反キリスト主義が伴いやすい。キリスト教を正しくとらえ、その日本への影響、キリスト教の世界史に果たした正しい役割への理解は民族主義が偏狭なショービニズムに陥らないために重要である。

3.日本という国の本質にキリスト教があるという認識を広めること。日本には非常に早い時期から福音を携えたユダヤ人がやってきており、日本の基本文化が彼らによって作られたことは明らかである。

このことがなぜか今まで2000年間も隠されてきた。しかし、神はいまや我々にこの驚くべき事実を明らかにされつつある。

これまで宣教の不毛地であった日本が外国のキリスト教に違和感を覚えてきた理由は、日本文明そのものがキリスト教文明であったこと、しかも、ギリシアローマ文明を経ずに、直接に聖書の時代の遵法的な人々が移住したため、生活の中に福音が深く根付いており、外来のキリスト教がそれに比べて幼稚に見え、魅力がなかったためである。

聖書的キリスト教以外に日本において繁栄するキリスト教は存在しえない。ギリシアローマの霊肉二元論の影響を色濃く反映する欧米のキリスト教では日本人を説得することは不可能である。

こういった目的が達成されるならば、日本は大きく変わり、我々が神に与えられた特別な使命の実現に大きく近づくことになるだろう。

 

 

2008年4月6日

 

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