聖書啓示に対する傲慢を捨てるべきだ


世界の人々は、学校教育を通じて洗脳されている。

その一つが「科学法則にしたがわないで起こることは一つもない」というドグマである。

これは絶対に証明できない。

どうやって証明するのか。

今後1億年間、全世界のあらゆる現象をつぶさに観察し、「一度も科学法則にしたがわない現象は起こらない」ことを確認できるか?

できるはずがないのだ。

人間は有限であり、有限である以上、経験できる範囲内のことしか言えない。

だから、科学で言えることは、「通常、科学法則に逆らうことは起きない」ということだけだ。

「常に、どこでも、科学法則に逆らうことは起きない」とは口が裂けてもいえない。

もしそのことを主張するなら、彼は「人間の知りえないことについて断定する人」つまり、「宗教家」になるのだ。

だから、「私は科学だけを信じる」という人は、絶対に「奇蹟は起こらなかったし、これからも起こらない」ということはできない。「奇蹟については、私は分からない」とだけは言える。

これが科学の限界であり、科学的思考を重んじるならば、この「知的限界」を知り、「知的謙遜」を身に着ける必要がある。

しかし、学校教育において教えられるヒューマニズムの思考法は、この限界を超える。

「科学的思考をするならば、奇蹟は否定すべきだ。」と教えるのだ。

このようにして、我々や我々の子弟は神に対して傲慢な心を育てられてきたし、育てている。

このような傲慢に対して神の御怒りは下るのである。

聖書啓示をそのまま受け取らず、理性によって調理することを許す現代のキリスト教は、学校教育において育てられた傲慢の必然的な結果である。

一歩退いて聖書に接するということができず、聖書を足で踏みつけ、自分の考えに合わないページを切り取る。

このような傲慢な文化が裁かれないわけがないのだ。

だから、神はイルミナティの陰謀を許され、彼らを通じて人類に裁きを下される可能性はなきにしもあらず。

一日も早く傲慢を捨てて、神の啓示をありのままに受け取り、それに従うこと、これ以外に裁きを回避する方法はない。

 

 

2009年5月21日

 

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