不換紙幣を許している限り我々は国の奴隷である


詐欺とは、自分があたかも何らかの価値のあるものを提供できるかのように見せて、結局は何も提供せず、むしろ、こちらから価値を引き出そうとする者である。

偽札犯とは、実体的価値がない紙切れをあたかもあるかのように見せて価値あるものを得ようとする人間であり、それゆえ、一種の詐欺犯である。

今、国が行っている中央銀行制度は、偽札犯と同じである。価値の裏打ちがない紙幣を独占的に発行しているからである。

このような不義がまかり通る制度が長生きできるはずがない。神は早晩裁きを下されるだろう。

被造物は誰も、「無から有を作りだす」ことはできない。

無から有を作りだすことができるのは、神だけである。

被造物は等しく、価値を得るために努力しなければならない。

しかし、今の国は、努力せずに価値を得ようとしている。独占的に、金などの価値の裏打ちのない紙幣(不換紙幣)を発行する行為は、創造者になることであり、不遜の罪でもある。

我々は、個人であれ、家庭であれ、教会であれ、国であれ、神が創造された価値の体系の中で、価値を得るために平等に努力しなければならないのである。

1000円の商品を手に入れるためには、1000円分の労働などをして収入を得なければならない。

国であっても、同等の価値を手に入れるためには、それなりの努力をしなければならないはずである。

金本位制度は、金という神が創造された価値を基礎として被造物が平等に努力する制度であり、それゆえ、被造物同士は互いに平等・独立者である。

しかし、独占的な不換紙幣発行権がある中央銀行制度のもとでは、国が神の座につき、他の者たちはその従者となる。

紙幣の発行量を変化させることによって、国はインフレを起こし、借金の実質的な踏み倒しができる。

もし我々が本当に自由になりたいのであれば、金などの価値の裏打ちのあるものと交換できるお金に戻すべきである。

国であれ、教会であれ、家庭であれ、個人であれ、平等に価値あるものを得るために努力するのでない限り、我々は国家の奴隷である。

 

 

2006年9月1日

 

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