自殺は最大の罪である


教会の葬式に出ていつも思うのは、「人生は厳粛だ」ということだ。

教会の結婚式もそれを感じられるが、葬式は厳粛さという意味で格別だ。

おそらく聖霊が示してくださるからだろう。独特な、荘重な雰囲気がただよう。

人生は厳粛なのだ。人間の人生は、かけがえがない。

時間は神聖だ。今の一瞬一瞬は、神から与えられた時間だ。

だから、絶対に無益なことに浪費すべきではない。

我々の時間は、神からの賜物だ。

神から与えられたものだ。だから、自分勝手に使う権利はない。

自殺がなぜ人間が犯す中で最大の罪かと言えば、人生そのものを自分のものとするからである。

我々は、自分で自分の命を創造したわけでもなければ、自分の意志で生まれてきたのでもない。

これは、「我々の存在そのものが自分のものではない」ということを示している。

寝転がって心音を聞いて欲しい。我々は自分で自分の心臓を動かしているのではない。

心臓は完全に自律して動いている。

もし自律していなければ大変なことになる。いちいち意識しなければならないならば、生きていけない。

我々の体を構成するすべてが、「我々の存在は自分の所有物ではない」ということを証している。

だから、自殺とは、この事実を否定し、自分の命を自分の所有とする強奪の罪である。

自殺者は傲慢である。

謙遜な人は自殺しない。

謙遜な人は、苦しくても自殺しない。

神は耐えられない苦しみを与えないのだから、人間は苦しみによって自殺するのではない。

人間は傲慢だから自殺するのである。

自分を自分の所有物として、神から強奪するから自殺するのである。

だから、自殺する人は最大の罪を犯すので、最大の刑罰にあうのだ。

 

 

2008年2月2日

 

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