ぜひ進化論はこのチャレンジに答えてもらいたい3


進化論者の掲示を見ると分かると思うが、彼らくらい検証を軽んじる人間はいない。

「いまどき創造論なんて信じているの?」とか、

「もっと科学を勉強したほうがいいよ」とか。

頭から相手を馬鹿にしてかかる。つまり、思考停止なのだ。

対話ができない。

すぐに「創造論は擬似科学だ」と言い出す。

擬似科学と断定した時点で自ら教条主義者であることを明らかにしている。

私が何度も言っているように、疑似科学とは、「進化論者が自分で定義した科学に合わない」というだけである。

創造科学が科学ではないということにはならない。

そもそも、経験科学の祖ベーコンは創造論者であり、ベーコンは科学を創造科学ととらえていた。

彼は、霊的世界に関しては聖書を、自然界に関しては経験科学を、と唱えた。

今の科学は、「経験から出発する」とする帰納法的認識論に基づいている。

人間の経験が有限である以上、どこまで行っても「絶対的真理」というものには到達できない。

例えば、「俺は神の不在を証明してみせる」という馬鹿がいるが、100万光年かなたに何があるか検証できない以上、神の不在を証明するなど不可能である。

もし経験から出発する帰納法的認識論を採用するならば、何一つ「仮説」以外のものを主張できない。

だから、「疑似科学」と創造科学を呼ぶことは口が裂けてもいえない。

「あなたのは科学ではない」と主張した瞬間に彼はドグマを作った。もちろんドグマは経験科学においてありえないから、彼は経験科学と矛盾したことを行った。

だから、疑似科学を創造科学を呼ぶ者は、自ら疑似科学になるのだ。

「創造科学は、我々の定義する科学とは違う」というなら分かる。

あたかも「自分達の定義する科学」でしかないものを何かの権威として据えるメンタリティが、「上からものを言う態度」であり、傲慢不遜、とても科学者の姿勢ではない。

こういう傲慢な人間どもが派閥を作って自分の考えに合わないものを排除して自己満足に陥り、時代に取り残されていくのだ。

進化論はまもなく「昔こんな馬鹿な考え方が流行ったことがありました」と振り返られるだろう。

 

 

2008年6月23日

 

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