公人の靖国参拝は反靖国の人々へのレイプである


日本の未来にもっとも暗い影を投げかけているのは、保守政治家の見識のなさだけではない。

革新政治家のそれも大きな問題である。

小泉さんが靖国参拝するのはまだ分かる。しかし、反小泉の野党、石原都知事なども靖国にこだわるのを見ると、我々は「この国には左右バランスのとれた政治家はいないのか?」と絶望的な気持ちになるのである。

小泉さんの無法外交を批判するなら、靖国について法律上の決着をつけてからにして欲しい。

今の憲法はどう転がしてみても、「宗教的多元主義」に基づいている。政治と宗教とを区別するとうたっているのだから、法律解釈をあいまいにしたままで、ずるずると靖国参拝を既成事実化するのはやめていただきたい。

小泉さんも、靖国参拝に賛成する保守及び野党の政治家も、プロ及び在野の政治評論家も、一般国民も、法律よりも情を優先するようなことはやらないで欲しい。

情があるなら、それを法律化するように努力して欲しい。

情と法の間には無限のへだたりがある。法治国家の政治家及び国民に必要なのは、「情に流されない」という決意である。

石原都知事のように、「靖国をやめたら大多数の国民は文句を言うだろう」というような情に流された発言はやめていただきたい。

情を大切にしたいなら、まず憲法を変えて「日本は神道を国教とする宗教国家である」と宣言してからにしなさい。

しかし、彼らはこれをやりたくないだろう。

なぜならば、神道を国教化するとなると、際限のない宗教論争が巻き起こるからである。

靖国参拝を公人にやらせたいみなさん。

日本には、公人の靖国参拝を悪魔的行為と見、心を痛めている人々がいるということを忘れないでください。

そして、今の憲法はそのような(恐らく)少数派の人々の意見を尊重しているということも。

これらの少数派の人々が唯一依拠しているのは、憲法であるということも。

多数が情を根拠に、それに反対する少数派の意見を無視して、合法的ではないことを行うならば、それは、レイプなのです。

 

 

2005年4月30日

 

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