プレテリズムの聖書解釈14 (その4)


(4)

「それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」(3節)

エルサレムの崩壊の前に、神は、ヨハネにエルサレムが犯した罪の歴史を示されました。エルサレムの罪は、神の預言者を迫害したことに象徴されています。

「それは、アベルの血から、祭壇と神の家との間で殺されたザカリヤの血に至るまでの、世の初めから流されたすべての預言者の血の責任を、この時代が問われるためである。そうだ。わたしは言う。この時代はその責任を問われる。』」(ルカ11・50)

「ふたりの証人」は、これらの歴代の預言者を表します。

「荒布」は、伝統的な旧約預言者の衣服であり、それを着てイスラエルの背教を嘆いたエリヤとバプテスマのヨハネを連想させます。

「2人」は、律法が命じる証人の数です。一人の証言だけでは有罪にならず、最低でも2人必要でした(民数記35・30、申命記17・6、19・15、マタイ18・16)。



「彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。」(4節)

「二本のオリーブの木」と「燭台」は、明らかにゼカリヤ4・1―14を表しています。

「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」(ゼカリヤ4・2―3)

ここでオリーブの木とは、油を絶えず供給するもの、つまり、「聖霊の満たしと、励まし」を象徴します。

ゼカリヤ4・14において、このオリーブの木は「全地の主のそばに立つ、ふたりの油の息子たち(=油注がれた者)」といわれ、3章から4章の文脈において、この「油注がれた者」が大祭司ヨシュアと王ゼルバベルを表しているのは明らかなので、ゼカリヤ4章のオリーブの木は、契約の2つの職務「祭司」と「王」を表していると考えられます。

黙示録11・4は、これらの象徴を自由に用いており、この2人が聖霊によってイスラエルを治める祭司と王であることを示しています。これらのふたりの証人は、単なる預言者ではなく、祭司であり、王でもあるのです。

「預言者・祭司・王」と聞いて何か思い出さないでしょうか。

そう。キリストは、真の「預言者・祭司・王」であり、キリストにつながるクリスチャンも「預言者・祭司・王」であるとの聖書の教えです。

つまり、この個所は、真の神の民であるクリスチャンが、御言葉を伝え、悔い改めを促し、警告を発する活動をしたということを意味していると思われます。

紀元70年の破局の前に、イエスの弟子たちや信者たちがエルサレムにおいて、預言者として悔い改めを説き、祭司として人々のために祈り・とりなし、そして、王として正しい秩序に帰るよう活動したのは事実です。

しかし、7−10節にあるように、彼らは「獣」によって迫害されました。エルサレムの人々は、神のもとに帰ろうとせず、むしろ、神から送られた預言者・祭司・王であるクリスチャンを殺してしまった。

もはや最後の悔い改めのチャンスも自ら捨ててしまった。

こういうことをこの個所は示しているのでしょう。

 

 

2004年11月26日

 

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