合理的差別と非合理的差別


ベルルスコーニイタリア首相が、オバマのことを「日焼けしている」と述べたと報道された。

人種差別とは、このようなものを言うのだ。

つまり、人種による不合理な差別である。

神の象徴的被造物である人間として我々は万人を尊重すべきだ。

人間を侮辱することは、神を侮辱することに等しい。

昔天皇の写真は御真影と言って、天皇と同じようにうやうやしく扱う必要があった。御真影を守るために火の中に飛び込んで死んだ校長もいたそうだ。

御真影に唾をかけることは、その本人に唾をかけることに等しい。

人間は、神の似姿、つまり、象徴として創造された。

だから、人間に対する侮辱、殺害は、神に対する侮辱、殺害に等しい行為なのである。

我々は、人種による不合理な差別を禁止すべきだ。

しかし、合理的な差別は禁止すべきではない。

合理的な差別とは、経済的な理由による客の選別、運動能力によるオリンピック参加選手の選別、学力による大学入学者の選別、信仰内容による教会への入信選別などである。

差別自体が悪いわけではなく、合理的か非合理的かの違いである。

聖書は合理的差別を命令しているが、非合理的差別を禁止している。

 

 

2009年3月28日

 

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