クリスチャンは死なない


私は、「クリスチャンは死後、体を失い、霊だけの存在になる」という終末論に反対である。

我々が死んだ後に、霊になり、体を持たないで再臨を待たねばならないとしたら、我々はキリストの御体の一部ではありえない。

つまり、教会の一員でなくなるということになる。

教会とはキリストの体であり、我々はその体の一部である。

天に召されたクリスチャンに体がなかったとしたら、彼らは体から漏れたということを意味する。

これは、エクスコミュニケーション、つまり、除名である。

キリストの御体を意味するパンとぶどう酒にあずかることができないようにされるということは、「相続不能」者の仲間入りをするということであり、つまり、地獄行きを意味する。

だから、我々は、クリスチャンはこの肉体を脱ぎ捨てたあとに、即座に「からだ」を与えられる。

「血肉」のからだではなく、「霊」的からだである。それは、永遠に生き続ける。

その変化は「即座」である。

なぜならば、一瞬でも我々がキリストの御体から切り離されることがあってはならないから。

「生きていて私を信じる者は、けっして死なない」というイエスの御言葉は真実である。

クリスチャンは、死なない。一瞬たりともからだを失わない。

表面的に見れば、クリスチャンの死もノンクリスチャンの死も同じ現象だ。

しかし、意味はまったく異なる。

クリスチャンの死は、「褒美」である。それは人生の完成である。

しかし、ノンクリスチャンの死は、「刑罰」である。それは人生の罪の実の刈り取りである。

罪が重なってもはや許容限度を越えたときに死ぬのである。

しかし、クリスチャンは、キリストにあって赦されているので、裁かれる必要がない。裁きは十字架上で、キリストが身代わりに負ってくださった。

だから、我々は、日々悔い改めの生活を送ることによって、神に受け入れられ、永遠の命を相続する。

クリスチャンは死なない。

死ぬのはノンクリスチャンだけである。

 

 

2007年5月25日

 

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