基礎教理も知らない教師は相手にしないことです


<LUKE>

ところが再建主義者は人間は徹底的に堕落しているから、それらを信用することはできない、だから旧約の律法をそのまま司法律法(=普通の法律)として現代社会に対しても適用せよと言うわけです。人間に対する基本的信頼が欠如しています。彼らは逆に人間性に信頼することはヒューマニズムと言って批判するわけですね。ま、一言で言えば、人間性疎外です。

お分かりになります?別に再建主義ではなくても、こういった普通の常識や価値観を無視して、教会的な価値観で物事を判断する人たちがいるわけですね。医者も駄目、薬も駄目といった超霊的な人々が。しばしばそれが御言葉を超えた自分達の霊的価値観なわけです。

こうして人間として生まれつき持っている価値観を壊して、自分達の価値観を植え込んでいくわけです。これがカルトの出発点です。人間は元々神の形に作られた者。神的な価値観を持ち、自律して判断し、行動できる存在なわけです。こういった人間と神の関わりを一般恩恵と言うわけですが、ノンクリスチャンもそれに与ることができるわけです。だから社会が一応正常に機能するわけですね。対して特殊恩恵は信仰によるクリスチャンだけのものです(=永遠のいのちを得ること)。

かくして教界の諸問題は、先に繰り広げられたディスペンと再建主義の論争と本質的には同じわけです。で、そのような重苦しい雰囲気を人に媚びる笑いで打破しようとする先生たちもいるわけです。でもね、それは吉本に任せたほうが、と思うんですけど・・・^^。

私的には多かれ少なかれ、ニッポンキリスト教は閉じた特殊な世界であると判断しています。もっと言えば、とても健やかさとか健全さからは離れてしまっています。関わるとそのビョウキの影響を少なからず受けてしまいますね。

聖とは人になることです。当たり前を当たり前に、普通のおじさんとおばさんとして生きること。神は人になってくださったのですから。

<B様>

ルークさんの日々のこころからの抜粋なのですが、言っている意味がわかりません。”旧約の律法をそのまま司法律法として現代社会に対しても適用せよ”とおっしゃっているのですか?
日々の生活を、神をおそれ、聖書を指針として忠実に歩めば、神の約束どおりに祝福されるのではないですか?ユダヤ人に対する約束は新約のクリスチャンに対しても約束ではないのですか? 彼の言っている意味がわかりません。どういうねらいで語っているのでしょうか? 

”こうして人間として生まれつき持っている価値観を壊して、自分たちの価値観を植えこんでいくわけです。” 彼のほうがカルトのような気がします。聖書の価値観にたつことが、新創造であるクリスチャンの生き方ではないでしょうか?”本来の価値観で生きよ”と言うなら、”この世の価値観で生きよ”と 言っているのでなないかと思うのですが。

非常に混乱します。的確なアドバイスをお願い

<tomi>

LUKEさんは、まったく我々のことも、宗教改革神学のことも理解していません。
そもそも、私たち宗教改革神学者は、人間として生まれつき持っている価値観というものそのものを否定しているわけではありません。

これは、LUKEさんが、恐らく神学校に行っていないからだと思いますが、「人間の限定的堕落」と「聖霊の一般恩恵」という神学の基礎的知識を欠いているから起こる誤解です。

私たち宗教改革神学者は、人間は徹底して堕落したなどと考えていません。

人間は、あるべき姿から堕ちた。しかし、サタンのように徹底しては堕ちていない、と考えます。

人間には、ノンクリスチャンでも良識というものがあります。もし、ノンクリスチャンは徹底して堕落しているとすれば、私たちは社会生活はまったく行えないということになります。

そんな非常識なこと考えていたらカルトと誤解されてもしかたがありませんが、我々宗教改革神学者は、そのようには考えません。

人間は、堕落して、不完全になったのです。

そして、堕落において、サタンと契約を結んでサタンの奴隷になった、と考えます。

サタンの奴隷ということは、徹底してサタンのいいなりになっている、ということではありません。

神は、ノンクリスチャンにも「聖霊の一般恩恵」を与えてくださり、人間が徹底して堕落しないように守っておられます。また、ノンクリスチャンでも良いことを行うように導いてくださいます。

カルヴァンをはじめ、宗教改革者たちが、聖書第一主義を唱えたのは、

「人間は徹底して堕落してサタンのようになっているから」というわけでは「なく」、

「人間は堕落した本性と、サタンの影響下におかれており、超自然的な倫理基準がなければ、自分の作った堕落した道徳観念によって、自滅の道を歩むから」なのです。

カトリック教会が、聖書によらず、生まれながらの人間の理性に信頼して、次第に、様々な迷信を付け加えていった。マリヤは無原罪だとか、教皇は無謬であるとか、そういった迷信を教会の教理の中に加えていって、カトリック教会が堕落した。

「聖書のみ」の原則はこのようにして生まれた。

LUKEさんは、神学校に行っていないでしょうし、また、おそらく理系だったからか、世界史の知識が著しく欠如しているため、こういった高校生でもしないような基礎的な誤解をされているのだと思います。

もう彼のサイトには行かないようにしたほうがよいでしょう。

相手のことも、教理についても、歴史についても、何も知ろうとしないで赤っ恥の上塗りをしている人の意見を読んでも何一ついいことはないでしょう。

 

 

2005年11月26日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp