黙示録はキリストの再臨や世界の終末に関する書物ではない2


聖書は、契約の書である。

ウェストミンスター神学校のメレディス・クライン教授やレイ・サットンらは、聖書契約の構造が、古代の宗主契約と類似していることを明らかにした(Meredith G. Kline, Treaty of the Great King: The Covenant Structure of Deuteronomy (Grand Rapids: William B. Eerdmans Publishing Co., 1963); The structure of Biblical Authority (Grand Rapids: William B. Eerdmans Publishing Co., second ed., 1975); Ray R. Sutton, That You May Prosper: Dominion by Covenant (Tyler, TX: Institute for Christian Economics, 1987))。

古代の宗主契約は、次のような構造になっている。

1. 前文(偉大なる王の主権を明らかにし、彼の超越性(つまり、偉大さと権力)と内在性(つまり、近くにいること、臨在)を強調する。)

2. 歴史的序言(それまでその主と臣下の関係がどうであったかを述べ、とくに、臣下に与えられてきた祝福を強調する。)

3. 倫理規則(臣下の義務を明細に述べ、契約のもとにおける市民の心得を説く。)

4. 賞罰(服従した場合の祝福と、反抗した場合の呪いを略述する。)

5. 継承(将来の世代における、契約関係の継続について。)


この契約の構造は、以下の書に見られる。

申命記
1. 前文(1・1-5)
2. 歴史的序言(1・6-4・49)
3. 倫理規定(5・1-26・19)
4. 賞罰(27・1-30・20)
5. 継承(31・1-34・12)

ホセア書
1. 前文(1)
2. 歴史的序言(2-3)
3. 倫理規定(4-7)
4. 賞罰(8-9)
5. 継承(10-14)

黙示録
1. 前文:人の子の幻(1)
2. 歴史的序言:7つの手紙(2-3)
3. 倫理規定:7つの封印(4-7)
4. 賞罰:7つのラッパ(8-14)
5. 継承:7つの鉢(15-22)

モーセ五書も、この構造にしたがっているし、創世記の天地創造の個所も同じ構造になっている。


聖書とは、神と人間の契約関係について述べた書である。

そして、そのほとんどは、神とイスラエルの関係について述べられている。

マタイ24章や黙示録を終末預言と解釈している人々は、このような聖書に関する基本的な事実を理解していない。

聖書というのは、「どのようにしてイスラエルが選ばれ、祝福され、呪われ、救われ、裁かれ、完成するか?」ということを中心に記されたきわめて民族的な書物である。

契約とは、主と従の間の具体的な規定である。この決まりは誰が対象か?ということを明言する。

聖書は、ぼんやりと人類全体を扱ってはいない。

「メシアの救い」とは、「アブラハム・モーセ・ダビデ契約の中にいる人々」に対してのみ有効である。

では、非ユダヤ人にとって聖書は意味がないのか?

そうではない。

聖書はたしかに、イスラエル人に対する救いの書であるが、イスラエル人は、そもそも、全民族の「雛型」として選ばれたのである。

だから、聖書はイスラエルに関して述べているといっても、その大きな目標は、すべての民族に対する神の救いを表すためである。

聖書は、民族宗教の教典ではない。

しかし、だからといって、漠然と全民族について記しているわけではないのである。イスラエルは、自分たちだけが救われるために召されたのではなく、すべての異邦人を自分たちが結んだ契約の中に入るように招かなければならなかったのである。

聖書を「特定民族」と神との間に結ばれた契約の書として読まなければならない。しかし、それを、民族限定の偏狭な宗教と考えるべきでもない。

 

 

2005年12月19日

 

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