神は中立の正体を明らかにされようとしているのかもしれない


大統領選挙でブッシュとケリーが争っている。

争うまでもないことだ。

ブッシュは、大量破壊兵器があると国民や国際社会に訴えて戦争を起こした。しかし、それがなかったことが明らかになった。

これだけで、アウトだ。

このような重大な政策において、国民や国際社会をミスリードしたというのは致命的な失敗であり、弾劾裁判にかけるべき人間だ。

それに、様々な軍事施設に、民間人を裁判もかけずにいまだに拘留している。

こういった大失敗を見て、ブッシュ大統領になおも投票しようなって思っているのは、明らかに誰かに目潰しをくらっているとしか考えられない。

神は、「中立の神話」を白日のもとにさらそうとしておられるのかもしれない。

つまり、「この世界には神のものでも、悪魔のものでもない中立の領域が存在する」という考えが神話に過ぎないことを人々に示そうとしておられるのかもしれない。

20世紀には共産主義の姿を神は暴かれた。

こんどは、ヒューマニズムだ。

アメリカ人は、クリスチャンとノンクリスチャンが共通の基盤に立つことのできる様々な領域が存在すると信じ込んでいる。

たとえば、義務教育においてクリスチャンとノンクリスチャンは同じ教えを学ぶべきだと。

こんなことありえない。

「神中心主義」と「人間中心主義」は一点でも混ざり合うことのできない、相互排他的思想なのだ。

教育を人間中心主義者に委ねれば、神中心主義を否定したことになる。それ以外ではない。

子供に人間中心主義を教えておきながら、子供がまともに育つと考えるのは、子供をものみの塔や統一協会やオウムのミッションスクールに入れてまともに育つことを期待するのと同様に、幻想である。

教育とは、その本質において、「世界観の押し付け」だから。

世界観とは、宗教そのものであるから、この世に、宗教教育ではない教育など存在しない。

そして、ミッションスクールではない学校などこの世に存在しない。

学校とは、ことごとく「自分の宗教を子供たちに押し付けるための機関」である。

教育が中立なんて考えているから、世界からどんどんクリスチャンが消えているのだ。

人間の音楽的嗜好は、10代のはじめに何を聴いたかによって決定されるそうだが、この時期にどういう教えに触れたかは決定的に重大である。

幼少期に日本語を話していなかった人がどんなに日本語を勉強しても、日本人のような発音や言葉の操り方はできない。

母国語は自分の体の一部である。我々は、文の末尾につけた小さな音で感情が動かされる。

「〜だよね」と「〜だよな」という表現における最後の一音は、相手を自分から見て、どのような立場にある人間であると考えているかを示す決定的な言葉である。

このような精妙な区別ができるほど、我々は母国語を高度にマスターしている。教科書を読んだだけではとうてい習得できない微妙なアクセントや言い回しを我々は長年の生活の中で無数に身に付けている。

そして、これらは幼少期に日本において暮らしたかどうかによって決定されるのである。これは、外国の日本人の間で暮らしても身につかない環境と密接につながっている言葉のニュアンスである。

クリスチャンホーム出身者とノンクリスチャンホーム出身者の違いは、キリスト教が母国語になっているかどうかの違いである。

外国に住む日系人が3世、4世になると完全に現地人になるのと同様に、キリスト教が完全に自分のものになるのは3、4世代かかるのだ。

我々のほとんどは、第1世代もしくは第2世代のキリスト教である。

我々の思考は、完全にキリスト教化されているわけではない。しかも、我々が教えられてきたキリスト教そのものにすでに異物が混入していたため、本当に聖書的な思考は身についていない。

幼少期にヒューマニズム教育と中途半端なキリスト教という欠陥のあるものを与えるならば、何世代たっても、ノンクリスチャンのままだ。

今日のアメリカ人の中には、何世代ものクリスチャンホーム出身者が多数いるだろう。しかし、教育が悪かったせいで、ほとんどヒューマニストである。

幼少期にホンモノを教えられてこなかったので、審美眼が破壊されている。

破壊したのは、「ヒューマニズムの学校教育に子供を預けてもまともに育つ」と考える中立の神話である。

神はこのような中途半端なあり方に裁きを下そうとしておられるのかもしれない。そのために、このようなとんでもない大統領がアメリカのトップに立つことを許されたのかもしれない。

 

 

2004年7月30日

 

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