巻き込まれないために愚か者から離れよ


(1)
この世界に「のろい」などないという人がいる。

いや、現代人のほとんどがそう考えているのではないだろうか。

倫理は結果に影響しないと彼らは信じている。

我々が、「倫理的行動は、結果となって自分に返ってくる」と言っても、彼らは違うという。

近代人は、機械論的因果律を信じてきた。

この世界には、科学的法則以外いかなる法則も機能していないと。

そして、「神を冒涜するとたたりがある」などという考え方は科学的ではないと。

しかし、実際のところ、科学的でないのは、彼らのほうだ。

科学は、「現象の世界以外の世界がどのようなものであるか不明だ」ということしか言えない。

「現象の世界以外の世界は存在しない」とまでは言えない。

「神を冒涜した結果がどうなるか科学では証明できない」とだけは言えるが、「神を冒涜してものろわれることはない」とまでは言えない。

もしある人が科学を信じ、科学的思考方法を取っているならば、科学が扱うことのできないことについては「不可知」を貫くはずである。

しかし、彼らは「不可知」の限界を超える。

ここで、彼らは科学を捨て、宗教家になる。

彼らが「のろいなどない」と宣言した瞬間に彼らは「擬似科学教」の信徒になった。

(2)
誰も「神の掟に違反しても、のろわれることはない」とは言えない。

我々聖書的クリスチャンは、「この世界は神によって創造され、神によって支配されているから、神の掟に逆らえばのろわれる」と信じている。これは、契約的世界観である。

我々は、契約的世界観に従って、「倫理は結果を生む」と信じている。

現代人の「擬似科学的世界観」はいわゆる最近現れた新興宗教である。

新興宗教が勝つか、それとも、聖書的キリスト教が勝つか?

勝敗は明らかだ。

我々の周りを見たまえ。

悪が栄えたためしはない。

悪の繁栄は、いつも一時的だ。

金正日の体制が永続すると思うか?

No!だ。

あんな不道徳な体制が続くはずがない。

(3)
聖書の教えに逆らう人間は例外なく、滅びる。

注意していただきたい。

私は「私の言っていることに逆らう人間は滅びる」と言っているのではなく、「聖書が言っていることに逆らう人間は滅びる」と言っているのだ。

人間は神ではないから、人間が信じていることは、絶対ではない。間違いが常に伴う。

しかし、誰かが聖書が正しいと述べることを信じ、語っている場合、その人の言葉には権威が伴うから、それに逆らうことは滅びを招く。

聖書から語る人の言葉を無視したり、それに反逆することは、「預言者への謀反」であり、「預言者への謀反」は「彼を使わした神への謀反」である。

だから、のろいを信じない人は愚かなのだ。

「聖書にしたがって語る人々に逆らっても何も起こらない」と考えている人は大きな負の結果を刈り取る。

(4)
聖書において「馬鹿」とか「愚か者」とは、こういった契約の世界について無知な人々のことを指す。

彼らは、自分が神の王国の中に暮らしていることを知らないか、あえて無視している。

神は、反逆者にも一時的な繁栄を許される。

だから、彼らは「神に逆らっても何も悪いことは起きない。すべてはうまくいく」と誤解する。

しかし、神が許された時が終わり、「主の日」がやってくる。

突然の滅亡。

ノアの洪水、ソドム・ゴモラへの火の制裁、イスラエルに対する最後の審判・・・

聖書の主張とは、まさに「契約違反者は必ず滅びる」ということだ。

愚か者は、この警告を無視して自滅する。

神は破滅の前に何度か警告を与えられるから、その声に耳を傾けるがよい。

しかし、何度かの警告の後に、神は「頑固の霊」を送られる。

頑固な者に対する刑罰はさらなる頑固である。

神が頑固にされるから、もはやその人は立ち返ることができない。

残されたものは永遠の刑罰以外ではない。

もしこのように頑固になって支離滅裂なことを言い始めた人がいるならば、速やかに彼から離れよ。巻き込まれないために。

 

 

2009年4月30日

 

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