迫害されたら迫害者の滅亡が近いと判断すべき


(1)
犯罪というものを科学的に完全には分析できないのは、霊の働きがあるからだ。

この世界を物質だけととらえる人々は理解できないだろうが、この世界には、霊が顕著に現れる時がある。

それは、一つに、聖霊の働かれるときだ。教会の礼拝、伝道集会、キャンプなどで体験できる。個人が祈っているときにも。

異次元の世界が現れるのだ。不思議なことだが、下鴨神社に行ったときに同じような霊的な感動を覚えた。神社という概念が変わる体験だった。

それと同じことが犯罪現場において起きる。

霊的な何かが、まったく空気を変える。そこが異次元の世界であるかのような気持ちがする。

これは一度犯罪の現場に出くわした体験があるから分かる。

以前、警視庁が公開したエレベーター内で痴漢する犯罪者の画像を見たことがある。

顔が、完全に人間のそれではなくなっている。なんとも異様な、この世のものではないような顔だ。妖怪と言うべきだろう。

男の子をビルの屋上から突き落とした犯人の画像をご存知だろうか。あの男の顔も、この世のものではない。人間の顔ではない。

犯罪は、霊がこの世界に顕著に入ってくる時間である。

このように、霊的な世界を考慮しないとこの世界は理解できない。

(2)
職場で異常なまでに嫌がらせをする上司や同僚には、悪霊が入っている場合がある。

クリスチャンを苦しめるために背後にサタンが火をたきつけるのだ。

そういう場合は何を言ってもだめ。法的な措置を講じる以外になくなる。

つまり、職場の管理者に訴えることだ。訴えてだめなら辞めるしかないだろう。

そういう迫害をした人々には、ろくなことが起きない。クリスチャンを苦しめることは、イエスを苦しめることと同じだから、裁きは必ず下る。

クリスチャンは、裁きの直前にある人や場所に送られることがある。

自分に対して理不尽なことをどんどんやられるなら、それは、その相手が裁かれる直前だからだ。

こちらはまともにしていればよい。こちらがまともであれば、相手がおかしいわけだ。

おかしいことを貫く状態、それをどのような手段を使っても止めない状態というのは、滅亡の直前の段階だからだ。

横車を押して、他人から見て異常な行動を取るようになった人間は、放置することだ。

自滅しかないから。

ある再建主義者が理路整然と説明しても、感情的になって「もう絶対に受け入れない」という態度を取っている教会人がいるそうだ。

そういう人々は、我々が悪いのではないから痛くも痒くもない。

滅亡直前。熟れた果実が落ちそうなのだから、黙って見ていよう。

何を言っても駄目ならそうするしかないだろう。

私の人生、とくに後半は、「最終段階」にある人々と出会うことが多かった。

とくに律法の永続性やポスト・ミレを説くと逆上された。

(3)
サタンの攻撃など恐れる必要はない。

なぜならば、サタンは踵にしか噛み付けないから。

我々はその噛み付いたサタンの頭を砕く。

もしあなたが、かかとを噛み付かれたら、頭を砕くためだと理解してほしい。


彼(イエス)は、おまえ(サタン)の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。(創世記3・15)

 

 

2009年11月7日

 

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