緻密な努力をしない人間には神学を批判する資格はない


学問を無視することはどの領域においても危険である。

どの職場でも、後輩は、先輩の教えを聞かねばならない。

最初から後輩が、先輩を批判しては、仕事を覚えることはできない。

後輩は、先輩から仕事を学び、それまで積み上げられてきたノウハウを習得しなければならない。

最初から自分勝手な方法を取れば、職場に混乱が生じる。その結果、その後輩は実力を蓄えることができず、ただの厄介者になり、首になるだろう。

どの領域においても、先達の蓄えた知識をいったん身につけなければならない。

批判というものは、その段階に達した人が行うことができる。

残念ながら、キリスト教界ではこの常識が通用しない。

新米クリスチャン、神学的な常識を蓄えないうちから批判し、「僕は神学の偏見を経由しないで聖書から直接情報を入手するつもりだ」などという。

聖書から直接情報を入手できるなんて10年早い。

神学的な知識がなければ、聖書そのものすら読むことは不可能だ。

まずは謙虚になって神学を学べ。

どの領域においても、「スタンダード」な書物がある。

受験でもそういうものがある。

私の時代は、数学なら矢野健太郎の解法の手引き、英語なら森一郎の試験に出る英単語というものがあった。

たしかに、こういう先輩が評価した書物は、非常に有益であった。

合格に必要な知識を分かりやすく、整理してある。

こういうスタンダードの書物を無視して、一から自分で方法を編み出すなんて無謀極まりない。

受験で勝利したいなら、スタンダードをまず身に着けるべきだ。

キリスト教の場合、まず先輩を選ぶ必要がある。

聖書を絶対の基準におかないディスペンセーショナリストやリベラリストの先輩は拒絶すべきだ。

聖書は絶対の真理だという一点は譲れない。

この聖書信仰に立つ人々の間で、長い間評価されてきたものは、カルヴァンのキリスト教綱要である。

これは基本中の基本だ。

しかし、この書物は初心者には難しい場合がある。

だから、入門書として定評のある書物を選ぶ必要がある。

私は、日本語として神学的基礎を身に着ける上でよいと思うものは非常に少ないが、尾山令仁の著作は読みやすく基本が身につくと思う。私のHPは初心者にも理解できる部分もかなりあると思うので、最先端の情報のエッセンスを手っ取り早く理解するには利用価値があると思っている。

中級クラスになれば、聖恵授産所や改革派が出している書物がよいだろう。

上級クラスでは、英語の文献しかない。ラッシュドゥーニーの著作のある部分は本HPにアップしているのでそれを読んでほしい。

私が扱っている問題は、これらのスタンダードを理解してからでなければ、批判はできない。

私のHPを批判する人々のほとんど全員は、最先端の知識を扱うまでの教育を受けていない。

初級、中級の知識すらないから、正直批判になっていない。

誤解、誤解、誤解、それも稚拙な誤解のオンパレード。

カルヴァン主義の5特質、TULIPすら知らない。

ヴァン・ティルの前提主義すら理解できていない。

こういう素人が、カッパブックスのような通俗プレ・ミレ終末本などに触れると、非常にゆがんだ理解に陥る。

私は、過去20年間膨大な数の書物を読んだ。

しかも、一つ一つ考えながら読んだ。たったの3ページに1年を費やす程度の取り組みもした。

私は、それでもまだまだラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースの膨大な情報を理解できていない。

彼らの驚くべき良書を読む前に、ただ他人の批判文などを読んで判断する人が圧倒的に多い。

だから、せっかくの宝の山をみすみす無駄にしている。

こういう幼稚なクリスチャンばかりでは、日本のキリスト教は死ぬ。

緻密な努力を積み重ねる覚悟があるまじめな人々がいない限り、日本に未来はない。

 

 

20010年1月2日

 

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