アメリカと資本主義陣営の社会主義化2


さらに、当時、銀貨、半ドル硬貨、25セント硬貨、10セント硬貨が金貨と並んで流通していた。

人々がドルを金と交換すると、政府自身の金の供給量が減る。金本位制には、国が供給するお金の少なくとも40%は金によって裏打ちされていなければならないという規定があったので、金準備量が減少すると、政府は非常に多くのドルを印刷できなくなってしまう。

このため、ニューディーラーの計画は、金本位制によって制約され、そのせいでインフレを起こすことができなかった。

1933年4月5日、大統領になって初期に、ルーズベルトは大統領命令6102号を発令した。これは、金を政府に1オンス20.67ドルで拠出することを命じたものであった。金貨100ドルまでは保持することが許されたが、残りは没収された。

さらに、大統領命令は、金での支払いを求めるすべての民間契約を無効化した。そのため、バージニア州上院議員カーター・グラスはこの政策のすべてが「侮辱」であると宣言した。

ルーズベルトはこの命令の根拠を1917年の「敵国との取引に関する法令」に求めた。この法令により、大統領は、戦時下において、国民が「金を蓄える」のを禁止することができた。

もちろん、1933年に合衆国は戦争をしていなかったが、ルーズベルトは「今は、国家的非常時である」と宣言し、議会も裁判所もこの命令に服従せざるを得なくしたのである。

昔だったら、このような命令は猛烈な反対にあっただろう。自由を愛するアメリカ人は、政府によるこのような没収に抵抗したことだろう。

たしかに、この「進歩の時代」以前において、このような命令を出せば、大統領は弾劾裁判にかけられこそすれ、再選など絶対にありえなかった。

しかし、ルーズベルトが就任した1933年までに、裁判所は、政府が弁論の自由に制限を加えることに賛成していた(とくに第一次世界大戦)。議会も、憲法に反し、自らの立法権を行政に譲りわたしはじめていた。

さらに、ルーズベルトが大統領命令6102号を発令した時に広がっていた恐慌により、多くのアメリカ人は、「経済的・政治的自由とは、飢え死にする自由である」と考えるようになっており、大統領が行うことは何でも受け入れようという気持ちになっていた。

ルーズベルトは第9節(反逆する者には1万ドルもの罰金を課すか、最高10年の懲役刑に処する)をちらつかせながら、6102号を施行しようとしていた。(ほとんどのアメリカ人は反対しなかった。この命令が無効化するまで金を手元に隠しておいた人はいたが。)

ルーズベルトは、米国市民に対して、ドルを金と交換することを禁じたが、同じことを外国人に行うことはできないと考えた。外国政府代表者たちはいぜんとしてドルで取引することができた。大統領命令発令直後、金の価格を35ドルに上げた。

 

 

2007年1月20日

 

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