絶対に振り向いてはならない2


聖書の中に隠れていた真理の光を見た人々は、その光を基準として査定される。

つまり、それを用いて自分に与えられた使命を実行しなければならない。

光が当たっていない人の受ける裁きよりも、はるかに厳しい裁きを覚悟しなければならない。

「多く与えられた人は多く要求される」とイエスは言われた。

我々は1つの真理を与えられたら、その真理をもって何倍もの実を結ぶことを要求される。

百倍の実を結ぶことすら求められるだろう。


ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。(マタイ13・23)

実を結ぶ領域はそれぞれ異なる。自分が与えられた領域で実を結ぶべきだ。

神学者は個別学問については素人だから、それについては大きな枠組みしか示すことはできない。

聖書から経済学や政治学、社会学など様々な領域の原理だけは示せる。

個別の領域については、それぞれの専門家に任せるしかない。

だから、クリスチャンで経済を専門にしている人は、聖書的経済学を作る責任がある。

このような個別の領域で実が結ばれなければ神学者が何を言ったところで、砂上の楼閣である。

神の国の発展は、原理を学んだクリスチャンの各分野での具体的適用にかかっているのだ。

悪魔の側は、デカルト、カントで、世界を人間を中心に回す神学を作った。

それから200年あまりの間に、個別分野でその原理を適用する人間が現れた。

ケインズ、フロイト、ダーウィン、マルクス・・・である。

これらのヒューマニストによって作られた人間教の個別学問を通じて、それを社会で実践する人々が人間教の世界を作ってきた。

学校は、その教会、伝道所であり、次世代を悪魔の子に育てるために活動してきた。(学校の教師が悪魔の積極的な手先であると言っているのではない。我々は知らずに破局を作り出してきたということだ。)

悪魔の王国は、今完成に近づきつつある。

進化論により普遍的な道徳や法を否定された若者が、その原理、つまり、アナキズムをますますはっきりと体現している。

我々、光を与えられた人間は、この悪魔の計画を粉砕しなければならない。

流れを逆流させ、普遍的法を回復するために働かねばならない。

教会の人々も無神論教育によって、普遍的法を失っている。

私は、親の世代と違って、60年代以降に青春を過ごしたから、アナキズムをよく知っている。

自分が子供時代、青年時代に見聞きしたものが基準となっているから、それがどのような結果を生むかよく知っている。

マイルドなビートルズは、今や悪魔崇拝のヘビメタにまで堕ちた。

「どうしてこんな悪魔的な世界になったのか?」と訝ってはならない。

カントの世界観は、「人間は自分の主観によって倫理をそれぞれ創造できる」というものだ。

いいように利用されて、悪魔崇拝に導かれてきたのも当然なのだ。

聖書法という土台を失ったら、我々人間は(キリストに従わない限り)生まれながらにサタンの奴隷なのだから、最終的には、徹底した悪魔崇拝に至る以外にはない。

良い麦も、毒麦も生長する。

そして、必ず実を結ぶ。

神は御国に関して誰よりも関心を持っておられる。

我々が心配する前に神がそれを心配しておられる。

聖霊による反撃は必ず起きる。我々がしなくても起きる。しかし、神は我々を選んでそれをせよと命令された。

だから、我々はその使命から逃れることはできない。

どんなに逃げても、使命を与えられた人間はもとのところに連れ戻されて、仕事をさせられる。

結局、人間は悪魔の奴隷でなければ、神の奴隷以外にはなれないのである。

 

 

2008年10月30日

 

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