打ち出の小槌の幻想を捨てるべきだ


こういう家庭があったらどうだろう。

父親が、一年のはじめにメンバーに欲しいものを言わせる。

「今年何が欲しいか言いなさい。」

長男:「僕は、100万円のハーレイのバイク。」
長女:「私は、80万円くらいのブランドもののバッグや財布が欲しいなあ。」
次男:「僕は、新しいコンピュータと周辺機器。50万くらいかな。」
母親:「今年は、お芝居をたくさん見て、旅行もしたいな。だいたい70万。」


そこで父親が次男に。

「おまえは、昨年、80万の中古車を買ったけど、今年は50万でいいんだな。」

「(やばい、うっかりして少ない額を言ってしまった。)えっと、ソフトも買わなければならないから、やっぱり80万くらいになるよ。」

また、長男に。

「おまえは、去年、100万の自動車を買うと言っていたが、領収書を見たところ、70万しかしなかったじゃないか。70万くらいのバイクで満足できないか?」

「いいや。車はたしかに70万だったけど、別の領収書を見れば分かるように、いろんなところを走り回って、ガソリン代がかかったんだよ。」

「え〜っ。でも、ガソリン代の領収書は期末に集中しているぞ。」

「ああ、それは、ここ数ヶ月仕事が重なって、動き回ることが多かったんで。。。」

「。。。」

最後に父親が今年の予算発表をする。

「よし。それでは、今年の我が家の予算は、おまえたちの330万プラスわたしの必要経費100万プラス諸経費で700万だ。」

「でもお父さんの年収は350万だよ。」

「残りは、借りるから大丈夫。」

「でも借金がかなり累積してるけど。。。」

「いざとなれば、我が家の貯金1500万円があるじゃないか。」

「え〜。でもあれは僕たちが老後のために蓄えているもので。。。」

「だって仕方ないだろう。おまえたちが欲しいものを合計して、今年は700万の予算となったわけだから。」

もちろん、この家族は、何年か後に、蓄えにも手を出してついに破産した。

一年の予算の立て方がおかしいのだ。

「はじめに必要ありき」、ではなく、「はじめに使えるお金ありき」、でなければ。

「国には打ち出の小槌がある」という共産主義的幻想を一日も早く捨てる以外に、この泥沼から解放される道はない。

 

 

2005年5月11日

 

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