思想兵器としての教科書3


クリスチャンスクールで使用されているアメリカ史や公民の教科書は、公立学校の教科書の焼き直しでしかない。私は最近の記事において次のように書いた。


「もし私が間違っていると思うなら、1787年の反連邦主義者やアブラハム・リンカーン、セオドア・ルーズベルト、第一次世界大戦、第二次世界大戦、及び、現在のメシア的アメリカ合衆国が行った数々の大クルセードについて教科書がどのように述べているかを調べなさい。」

問題は、クリスチャンの親たちは、その起源が少なくとも150年前にまでさかのぼる政治的・宗教的プロパガンダの標的になってきたということである。彼らは、長い間、公立学校の歴史教科書の理念をほとんど鵜呑みにしてきた。

彼らは今でも、自分が子供時代に教えられた古い歌を子供に教え込んでいる。大学まで子供をそのように育てているのである。犠牲者は、自分が犠牲者であることを知らない。

彼らは、このような抑圧が、マズィーの教科書の第2章が記された時からずっと続いているということを知らない。マズィーは、植民地時代を非効率的な時代、不一致の時代、地域ごとに独裁が行われた時代(建国者たちがそこから開放してくれた)として描いた。

クリスチャンの両親は、今日、学生一人あたり毎年数千ドルものお金を出して子供たちをクリスチャンハイスクールに入れている。しかし、彼らはそこで使用されている教科書を読んだことがあるのだろうか。公立学校で教育を受けた数百万ものクリスチャンの両親が時代の知恵として受け入れてきたマズィーの教科書よりもそれらの教科書がわずかばかりでもましであると本当に言えるのだろうか。これらのクリスチャンスクールの教科書は、問題の根源――つまり、1787年におけるワシントン、マジソン、ハミルトン、他の民族主義者たち――を見据えているだろうか。

 

 

2006年12月8日

 

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